民数記 1章30−54節
相変わらず曇天が続く当地ですが、夕方暗くなる時刻が少し遅くなったように思えます。
きょうの通読箇所には、前半から続き12部族(レビ部族を除き、ヨセフの子どもたちを2部族として)の二十歳以上男子の人口調査が記され、その総数が603,550人とまとめられています。さらに、レビ部族は今回の登録からは除外されていることも書かれています。今回の人口調査が「軍務につくことのできる者」を登録することにあったからです。
レビ部族は他の部族と一緒にされません。そして、レビ部族は幕屋にかかわる務めをするとあります。民と神との間にレビ部族がいます。幕屋の設営や撤営、運搬を他の部族がすることはありません。もしもこの秩序を壊すならば、厳しくもそのものは殺されなければならないとあります。それは、神が聖なるお方だということを民に明らかにするためです。
この聖い神が私たちの世においでになったことを私たちは祝ったばかりです。聖いお方であるのを決して損なうことなく、しかし、罪に汚れた者たちといっしょに歩み、飲み食いをなさいました。そして十字架に…。十字架は、聖い神が罪に汚れた者をご自分のもとに引き寄せよるためにとられた唯一の道。だれもが、イエスによってこのお方に近づくことができるようになりました。
だからといって、「何でもあり」なのではない、神の聖さをどのように証しし語るのかは、私たちの毎日の歩みでの大切な課題だと思います。