箴言 4章
日中は夏を思わせるような陽気でしたが、山間の夜は急に冷え込んできました。礼拝をともにする方がた、久しぶりにお目にかかる方々とあいさつを交わし、ゆったりと時間を持っています。紅葉にはまだ少し早かったですが…。
この章でも、父からの語りかけが続きます。
3、4節の、「私が、父にとっては息子であり、母にとっては、かよわいひとり子であったとき、父は私を教えて言った」ということばに、しばし足を止めて次のようなことを考えました。
私の父は自分が子どもである時に何を語ったのだろうか、と考えると、特に心に浮かぶものがありません。父は子どもたちに何かの教えを垂れるような人ではなかったと記憶しています。驚かれるかもしれませんが、父が自分について話すのを聞いたのは、晩年に父のお仲間の集まりに牧師として加えてもらった時でした。「こんなことがあったのか」「あんなことをしていたのだ」と、初めて聞くことばかりでした。
口うるさく言われたらきっと耳を塞いだだろうとは思いますが、一方では、父が何かを自分のことばで話してほしかったという思いもあります。だからといって、父が何も私たちに伝えなかったということではありません。生きている姿でいろいろなものを子どもたちに語っていたのだというのが、振り返って見て考えることです。
それでは、自分がキリストを信じて家庭を持ち、生まれてきた子どもたちに何かを語ったのだろうか…。語ったようでもあるし、そうでなかったようでもあります。ただ、ある時までは一緒に聖書を読み続けてきた、その時間が尊いものだったと振り返って思うのです。