みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

「自由」が奴隷への入口に

2015年03月19日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 2章11−22節

 ここでペテロは、にせ教師をいろいろなものになぞらえています。「理性のない動物と同じ」「しみや傷のようなもの」「のろいの子」「水のない泉」「滅びの奴隷」。ここで厳しく断罪されているにせ教師は、この手紙を読む教会に滅びをもたらす異端をひそかに持ち込みました。彼らは自由を約束しながら、性的享楽的な放縦に走り、信仰の弱い人々を神の恵みから踏み外させようとしています。

 「自由」とは響きのよいことばです。「あなたは自由だ。何をしても赦されるからだいじょうぶ」と誘われて、フラフラっとする人も少なくありません。「自由」という滑らかなことばによって、罪の奴隷という正反対な方向に引きずりおろされることがあまりにも多く見られます。教会のリーダー的な立場にある者は、自分自身をきよく保つことに注意を向けなければならないと、教えられます。

 「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。 それは、 私がほかの人に宣べ伝えておきながら、 自分自身が失格者になるようなことのないためです」(コリント人への手紙第一 9章27節)というパウロのことばをも覚えました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。