みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主イエスを知ることによって

2020年03月12日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 1章1−11節

 水曜日朝の祈祷会に向かう道で、数日前には気づかなかった黄緑がかった灰色の新芽が吹いていました。寒さの中で咲いていいのかを探っていた感のあるクロッカスも、安心したように花弁を開きはじめています。ウイルスのニュースであふれている中にいると、気持ちが縮こまりがちになることでしょう。自然の小さな営みの中に春を見つける楽しさを味わっています。

 「みことばの光」では続いてペテロの手紙第二を読みます。この手紙は第一の手紙のように、現在のトルコに広範囲に存在する主の教会に回し読みされたものだと考えられています。

 「私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ」という最初のあいさつのことばが目に留まります。この時、ペテロは教会の指導者として尊敬を集めていました。自分たちをこのように呼ぶのを知った人々は、どんなに励ましを受けたことだろうと、想像します。

 そして、ペテロの最初の願いは、神からの恵みと平安がますます与えられるようにということでした。これは、この手紙を書きながらのペテロの祈りであったことでしょう。今日の「みことばの光」は、このことばについて、「私たちにはまだまだ信仰の伸びしろがあると神が見ていてくださる」と解いています。

 「主イエスを知る」ということばは、8節にも、そして手紙の終りの3章18節にも見られます。イエスを救い主と信じて、そこにとどまるのではなくて、救い主なるイエスを知り続けるというのが信仰者の人生の課題だと教えられます。このことはペテロ自身、イエスとともに過ごさせてもらった日々の中でそうでありましたし、復活して天に昇って行かれてからも同じでした。

 しかし、主イエスを知るというのは、単に知的に理解するということではないとわかります。生き方につながります。4節には「神のご性質にあずかる者になる」という目当てが示されます。それは、具体的には愛する者になるということです。

 伸びしろがあるのか…と、古希を間近にした私は心を奮い立たせられます。



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