みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

評価する神

2018年11月12日 | 箴言

箴言 21章

 きのうの礼拝には、お仕事で出張中のお二人がアメリカからおいでになりました。伺うと、東海岸の日本語教会の牧師さんたちのことをご存じでした。懐かしいお名前が…。

 2節の「人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし、主は人の心を評価される」ということばから、16章2節の「人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる」ということばを思いました。すべてを見る神が、英知を傾けて企てる人間を評価するというのです。

 そんなものは嫌いだ! というのが、「高ぶる目とおごる心、悪しき者のともしびは罪」となるのです。「神さまが見ておられるよ」ということばを、子どもたちに幾度となく届けたということを思い出しました。

 すべてをありのままにご覧になる神がいないと心に決めたら、先に理屈を述べた者が、強く訴えた者が勝ちということになってしまいます。そして、嘘が嘘でなくなってしまいます。14節の「ひそかな贈り物は怒りを静め、懐の賄賂は激しい憤りを鎮める」という世の中です。だれも見ていないから、と目を閉じたからといって、神がおられなくなるわけではありません。

 人間の英知も知恵も神の手の中にあり、神の前には無に等しいことを受け入れて、自分を正しく受け止めることができるのではないでしょうか。


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