アモス書 4章
長い間架け替え工事をしていた近所の橋がもうすぐ完成します。以前は自動車がやっと一台通れるほどで、しかも揺れましたが、今度の橋は頑丈そうです。
4章には北王国イスラエルの金持ち、支配者たちの搾取、贅沢への神のさばきのことばが記されています。
1節の「サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ」ということばが目に留まります。「バシャン」は豊かで石のない平原のこと。牧草地があり、そこの牛はよく肥えています。ここでは、サマリアの上流階級の女性たちが肥えた雌牛にたとえられているのです。彼女たちは、弱い人々や貧しい人々を苦しめるばかりでなく、夫に対しても「何か持って来て、飲ませよ」という横柄な態度を隠そうとしません。しかし、彼女たちを待っているのは悲惨な未来です。
4−5節には、まるで神がイスラエルの罪を勧めているかのような表現があります。もちろん神がそれを仕向けているのでも、望んでいるのでもありません。人間の罪の奥深さを示すことばです。表向きは宗教的でありながら、彼らは神に背いているのです。偶像を慕い求める者たちがいます。自分たちに繁栄をもたらすから、自分たちの悪を咎めないから彼らは、神ならぬ像に心を寄せるのです。
6節以下は、神がイスラエルに行われたこと。ここで何度も繰り返されるのは「それでも、あなたがたは わたしのもとに帰って来なかった」ということばです。神は決して意地悪をしておられるのではありません。これらの出来事を体験することによって、まことの神のところに帰ろうと願うことを、神は首を長くして待っておられました。
今日は12節を覚えて歩みたいと思います。「あなたの神に会う備えをせよ。」