サムエル記第二 10章
シュマルカルデンを見下ろす所にある城を訪ねました。中は博物館になっていて、特に宗教改革前夜の改革者たち、特にウィクリフとフスの展示が見ごたえがありました。さらに、ルターが聖書をドイツ語に翻訳する以前に、多くのドイツ語訳が印刷されていたという展示にも興味があり、気がつくと一つの部屋に1時間以上とどまっていました。
ダビデの「真実を尽くそう」の二度目は、イスラエルとは緊張関係にあった東のアンモン人の王ハヌンに対してのものでした。2節に「彼の父が私に真実を尽くしてくれた」とあります。
ハヌンの父とはナハシュのこと。しかし、ナハシュがダビデに真実を尽くしてくれたという記事は、聖書にはありません。それどころか、ナハシュはサウルが王になったばかりの頃に、ヨルダン川東部ヤベシュ・ギルアデを攻めようとして無理難題を押しつけたことがありました。その時サウル王がアンモン人を討ち、ヤベシュ・ギルアデを守ったということが1サムエル11章に書かれています。
推測ですが、サウルにいのちを狙われて逃げ回るダビデに、アンモン王ナハシュが何らかの保護や配慮をしたのかもしれません。ダビデはナハシュが自分に「真実を尽くしてくれた」として忘れず、主の促しを覚えてナハシュの子ハヌンに使者を送った可能性があります。
「真実を尽くそう」との思いは相手に通じる場合もありますが、ここでのようにはねのけられ、それどころか侮辱されるようなことも起こります。
3節は、緊張関係にある者同士が相手にどのような感情を抱いているのかを考えさせてくれます。真実や善意とは通じるというのは、甘い考えなのかもしれません。しかし、神の真実、神の人への慈しみもまた、素直に相手に受け入れてもらえないということのほうが多いのだということを、ここから思いました。
だからといって、世の中はこんなものだから、真実を尽くすとか善意を持つなどという「甘い」考えは持つべきではないと、投げてしまってはならないのだと思います。
ここでの出来事はあらぬほうに発展するのですが、結果としてダビデがアンモンと戦いを交えることがなかったのは神の御手によると受け止めました。
*写真はシュマルカルデンの城ではありません。