詩篇 47篇
水曜日、目覚めると雪。午前の祈り会をしている所には徒歩で向かったのですが、その頃には雨に変わっていました。今回の一時帰国では水曜日の祈り会に毎週加えていただき、ありがたかったです。
詩篇47篇からは音が響いてきます。手をたたく音、大声の叫び、喜びの叫び、角笛、ほめ歌。神への賛美は、私たちが思い描き経験していることよりも多様なのではないかと、ここを読んで思いました。人は数えきれないほどのことばをメロディによって神をほめたたえてきました。そう考えると、2月に生まれたばかりの孫の泣き声も神への賛美のように聞こえてきます。
さらに本篇に何度も繰り返されているのが「国々」ということば。神は民族や国を越えてすべての人々によってほめたたえられる方なのだという、至極当たり前のことに気づきます。
この詩篇は46篇10節をさらに広げたものだとの解説もあります。「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる」という神の宣言への応答が47篇だと考えることができます。もしかしたら、「神は私たちのもの」という概念に私たちは縛られてしまっているのではないだろうかと問われます。
「神は大いにあがめられる方」なのです。