詩篇 45篇
那須高原に住む友人宅を訪ねました。翌日昼はそば屋さんで「そば懐石」。店主はゴスペルが好きとのことで、食事の後私たちのためにSP盤(78回転)のゴスペルを、手回しの蓄音機で聴かせてくださいました。レコード針がディスクを回り出すと、あの懐かしいノイズとともに、神への賛美が響きます。「そば屋でゴスペル」〜そんな時間をつくりたいねと、心が通い合いました。
本日の「みことばの光」は、この45篇の作者はおそらくダビデだろうと書いています。そうだとすると、1節はダビデの心、喜びを歌っています。
それではイスラエルの王ダビデは、どの王のことを歌っているのでしょうか。つまり、2節以下の「あなた」とは誰のことなのだろうかという問いかけが湧いてきます。王である「あなた」とは誰なのでしょうか。
6節に「神よ あなたの王座は代々限りなく あなたの王国の杖は公平の杖」とあります。ここでダビデが歌う王は神なのです。さらに、7節にも目が留まります。「神よ あなたの神は……」とは不思議なことばです。「神よ」と呼びかけているのですが、その内容は「あなたの神は…」なのです。
けれども、新約聖書の光によって6−7節のことばを照らしてみますと、そこに見えてくるのは、神によって油を注がれたメシアのお姿です。それは英雄的な人間ではありません。神であり、王であるメシア、すなわちイエス・キリストがここから見えるのです。
そして人々はこのお方に心を向けるのです。そして、そのようにして心を向けほめたたえることこそが、神である王、メシアへのあるべき迎え方なのだということを、知ることができます。
17節には私への呼びかけ、私の人生を貫く務めが明らかにされます。それは神である王、イエス・キリストを呼び求め、いつまでもほめたたえること……。