マタイの福音書 3章
この時期にしては気温が高い日が続き、北部では水害の被害が深刻になっています。水曜日も晴れ間がのぞいている間に外に出かけ用事を済ませましたが、今は天窓に雨音が響いています。
「みことばの光」では、今日から4月1日まで、時折詩篇を味わいながら、マタイの福音書を読んでいきます。なお、1−2章は12月のアドヴェントに読む予定なので、3章から始まります。
3章には、メシア・イエスの先駆けとしての働きをするヨハネが描かれます。彼はユダヤの荒野で人々に悔い改めを説き、罪の悔い改めのバプテスマを授けていました。この姿と働きは、旧約聖書マラキ書で語られた預言が実現したものだったことが分かります。
「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」マラキ書4章5節
ヨハネの風采(ふうさい)は彼を見、彼の話を聞いた人々に預言者エリヤを思わせるものでした。旧約の時代預言者は、皮の衣を着ていたからです。
長い間の沈黙を破って神はついに預言者エリヤを送ってくださったと、人々は受け止めたのです。預言者エリヤが来るということは、それが完了ではありません。預言者エリヤはその後に来るメシア(油を注がれた方)の先駆けとして来ると人々は信じていましたので、彼らはヨハネから罪の悔い改めのバプテスマを受けて、メシアのために備えました。
多くの人々がやって来て、自分の話を聞きバプテスマを受けているのを経験したヨハネは、その人々を自分の弟子として引き寄せるのではなく、彼の後においでになる方を常に指し示していました。それが彼のつとめだったのです。
ヨハネが産まれた時、父である祭司ザカリヤは神をほめたたえました。その中に、「幼子よ、あなたこそ いと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである」ということばがあります。これはザカリヤが与えたのではなく、神がヨハネに与えられたつとめでした。
「キリストを指し示す」――キリスト者に通じるつとめです。