詩篇 138篇
会堂をお借りしているドイツ教会との合同礼拝は、多くの方とともに行われました。礼拝後、皆さんに書道を楽しんでいただきました。筆順は別にして、味わいのある作品を書き上げる方がたくさんおられました。新しい発見です。また、搾りたてのリンゴジュースは格別でした。
感謝から始まる本篇。詩人は何を、誰に感謝しているのでしょうか。神がみことばを高く上げたことを感謝し、神の御名に感謝しているのです。
「みことばを高く上げる」とはどのようなことなのでしょう。多くの人々が読む三つの日本語聖書がどのように訳しているのかを比較してみました。「御名のゆえに …みことばを高く上げられた」(新改訳2017)、「御名のすべてにまさって …仰せを大いなるものとされました」(新共同訳)、「御名と仰せを大いなるものとされた」(聖書協会共同訳)。高く上げられるべきは主の御名であり、みことば(仰せ)が勝るはずはないという思いが新共同訳を読むと湧いてきます。
主の御名は恵みとまことに満ち、信頼する者を救い出します。そして、みことばはそのような恵みに満ちた主の御名を伝えるのです。
4節に「彼らがあなたの口のことばを聞いた」とあります。それゆえ、地のすべての王たちは神に感謝し、主の道について歌うのです。つまり、みことばが伝えられることによって主が高く上げられるのです。「あなたがみことばを高く上げられる」とはこのような意味ではないでしょうか。
高くあられる神が低い者を顧みてくださる…という6節のことばに目が留まります。ここに神の一人子のお姿が映し出されます。そう考えて改めて本篇を読み直しますと、イエスさまが私のような者のために何をなさったか、そして今も何をなさっているのかが心に届きます。