エゼキエル書 28章
以前、通りで会ってあいさつを交わした人と、また会うというようなことがあります。きのうもそうでした。日本の方でなく名前もまだわかりませんが、いつも赤ちゃんをベビーカーに乗せて散歩をしておられます。互いの名前を紹介し合えるようになるだろうと、次の「バッタリ」を楽しみにしましょう。
ツロへの哀歌が延々と続きます。27章3節に「私は美の極みだ」とのツロのことばが出ていますが、高ぶりはもはやここまで着てしまったのかと思わせるのが、2節の「わたしは神だ。海の真ん中で神の座に着いている」です。しかし神は、たちどころに「あなたは人であって、神ではない」と否定されます。
神はツロがダニエルよりも知恵があることを認めておられます。その優れた知恵がツロを栄えされたことももちろんご存じです。しかし、それはツロが神だと高ぶる理由にはなりえません。また神は、ツロを守護者ケルビムとして任命されたとも言っておられます。それはツロを高くされた、栄誉を与えられたということです。
豊かな知恵、富、高い立場は、そのすべてが神が賜ったもの。しかし、それらは人を高ぶらせるものなのです。17節の「まばゆい輝きのために自分の知恵を腐らせた」ということばに目が留まります。なんという皮肉でしょうか。
与えてくださった方を脇に退けて、自分がその方の立場にいようとする高ぶり。その危険、恐ろしさ。ツロへの哀歌はこのことを問うています。