みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の帯がぼろぼろに…

2020年10月05日 | エレミヤ書

エレミヤ書 13章

「私の目には涙があふれる。主の群れが捕らわれて行くからだ。」13章17節

 ハラルのスーパーで青唐辛子を購入。その辛いこと!涙が出るほどです。 香辛料としてスープに、炒め物の中に入れて用いましたが、それでも余ります。そこで、「唐辛子味噌」を作りました。ご飯のおかずにぴったり。

 この章から、預言者が何をするのかということを考えることができます。

 初めの部分には、神がエレミヤをユーフラテス川に遣り、岩の割れ目に帯を隠すようにお命じになったことが書いてあります。ユーフラテス川はエルサレムからおよそ800キロの場所。どれだけの時間をかけて彼は神からの命令に従おうとしたのだろうかと想像して驚きます。しかも彼は、二度行ったのです。二度目は先に自分が隠した帯がぼろぼろになっているのを確認するためでした。

 「わたしはイスラエルの全家とユダの全家をわたしに着けた」という11節に目が留まります。神がご自分の身につけられる帯がイスラエルとユダだと言われるのです。帯は身を飾るもの、服をまとめるもの。しかし、何の役にも立たないのです。 神の嘆きの大きさが際立ちます。

 これだけの距離を時間をかけてに往復する中で、エレミヤは何を考えていたのでしょう。彼は、神のことばに従うことで、ユダを待ち構えている神のさばきが必ず起こり、悲惨なものだということを確信しました。

 15−17節はエレミヤのことばです。エレミヤは、彼によって届けられる神のことばを聞くようにと同胞に訴えます。「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ」とは、前後関係の中で考えてみますとこの場合は、ご自分の民が神のことばに耳を傾けることによってなされるということでしょう。それをしない同胞のために、エレミヤは涙に暮れるのです。

 神のために何かをなすとしたら、何よりもそれは、神のことばを聞くことから始まり、聞くことに終わるということなのです。


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