みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

いのちの危険の中で

2020年10月03日 | エレミヤ書

エレミヤ書 11章

主が私に知らせてくださったので、私はそれを知りました。」11章18節

 当地はきょうは祝日。1989年に東西ドイツが統一されたことを記念する「統一記念日」です。それから、この時期は収穫祭があちこちで行われます。祝日と日曜日と、スーパーは二日間休みになるので、レジの前には長い列ができていました。

 この章の前半には、神とイスラエルの民が契約を結んだこと、しかし、イスラエルはその契約を踏みにじったことによって、契約違反の責任を問われることになることが記されています。イスラエルが神に選ばれた者として、神の祝福を享受できるのは、彼らが神との契約を守るという前提がありました。

 神とイスラエルとの契約で覚えるのは、モーセに率いられたイスラエルの民が神との間で結んだ、いわゆる「シナイ契約」でしょう。11節以下には、契約を破った彼らを神がどのようになさるのかが明らかにされています。

 11節の「わたしは聞かない」、12節の「決して彼らを救わない」、14節では預言者エレミヤに「この民のために祈ってはならない」、なぜならエレミヤが祈っても聞かないからだと明言しておられます。それは、実はイスラエルの民だけでなく、すべての人々にとっての絶望を意味します。神が聞いてくださるから祈る、神が救ってくださるから救いを求めるということができないのですから…。

 後半の18節からでは、エレミヤの出身であるアナトテの人々がエレミヤ殺害の企てを持っていることを、神がエレミヤに知らせておられます。それはエレミヤにとっては辛いこと。そのエレミヤに神は、アナトテの人々にわざわいを下すと言ってくださるのです。

 郷里の人々から、もしかしたら家族からも疎(うと)んじられ、いのちさえ狙われるという孤独の中のエレミヤを、神は断固守られます。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki