コリント人への手紙第一 15章12−19節
「もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。」コリント人への手紙第一 15章19節
金曜日午後の近くの公園は、イースター休みとあって人でいっぱい。でも、公園が広いので「人混み」というほどまでではありませんでした。先日連邦首相が、「イースターには出かけないように」とメッセージを出しましたので、普段なら実家に帰ったり、旅行に出かけたりしていたのができずに、近くの公園に…、ということなのでしょう。カヌー遊びをしている人もいて、気持ちよさそうでした。
ここには、原語で七つの「もし」が連なっています。そのどれもが復活についての「もし」です。最初は、「もしキリストの復活をあなたがたが宣べ伝えているのなら、どうして死者の復活はないと言うのか」と問うています。
教えとしてキリストの復活を信じ、教えとしてキリストの復活を伝える、しかし、死者の復活はないと言っているとは、ほんとうのところは、キリストの復活を架空のことのように考えているのではないかとの鋭い問いかけです。
そして、キリストが実際にはよみがえらないのだとしたら、宣教は空しく、自分たちの信仰も中味のないものとなると話を進めるのです。そして最後には、そうだとしたら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者だと言います。
けれども私たちは、復活された、そして生きておられるキリストに望みを置いているのだから、すべての人の中で最も誇らしい者であることをパウロは伝えたいのだと、ここから思いました。