ヨハネの手紙第一 2章18−29節
5月号の編集をしています。表紙をめくると花の写真があります。花の名前をほとんど知らない私は、写真を撮った方にいつものように尋ねましたら、「忘れな草」とのこと。併せて、「忘れな草をあなたに」という、昔流行(はや)った歌を聞けるWebページを示してくださったので、訪ねてしばし懐かしの昭和のメロディーに聴き入っていました。でも、いつまでもとどまってはいられないので、日常に戻りました。
この箇所の鍵語は「とどまる」です。18−29節で6回用いられています。教会がグノーシスの考えに揺さぶられている中で、今までにはない、今まで教えられてこなかった新しい教えだとして、入り込んできた新しい教えに心を動かされてしまう人々もいたのです。
ヨハネはそんな危機的な事情にあった読者に、「初めから聞いたことに」「御子と御父のうちに」「御子のうちに」「キリストのうちに」と、繰り返しとどまるようにと勧めます。
きょうの「みことばの光」は、「『そちらの教会では、あの大事な教えが語られていないのですか。うちではみんな知っていますよ。』こんなふうに言われると、だれでもドキッとするのではないだろうか」ということばから始まります。
クリスチャンは初めから聞いていることをずっと信じ続けています。教えにとどまり続ける者たちです。それは時に、マンネリだとか、時代が変わるのになぜ…? などという批判にさらされ、自分たちも何か変えなければならないのではないかと自問するようなこともあります。
変えてもよいこと、変えなければならないこともあります。けれども、ヨハネが読者に「とどまるように」と確認していることは、時代がどんなに変化しても変えてはならないこと、なのです。