みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

このいのちが現れました

2018年02月20日 | ヨハネの手紙第一

ヨハネの手紙第一 1章

 オイルが不足しているとの警告ランプがついたので、購入して補充しました。自動車はガソリンなどの燃料のほかに、エンジのオイルやブレーキオイルなども円滑に走るためにはなくてなりません。私のたましいには、「…が足りない」との警告ランプがつくのだろうかなどと、立ち止って考えてみました。

 きょうから3月2日まで、「みことばの光」ではヨハネの手紙を読みます。まず第一の手紙。

 この手紙は始まりがほかの多くの新約聖書の手紙とは違っていて、「…から…へ」ということばが出ていません。著者名も明らかにしていませんし、読み手もわかりません。おそらく、特定の教会や個人宛にではなくて、いくつかの教会で回し読みをしてもらうとの意図があったのだろうと考えられています。

 「初めからあったもの」ということばで、イエスの弟子の一人ヨハネは、手紙を書き始めています。1節を何度も読みますと、この手紙で書こうとしていたイエス・キリストがどのようにして自分の、自分たちの目の前に現れたのかのプロセスを見るかのようです。

 「初めからあったもの」というのは、天地万物が造られる以前からこの方がずっと存在しておられたということを伝えています。「私たちが聞いたもの」ということばからは、この方がおいでになることについての多くの預言や証言のことを、「自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの」ということばからは、この手紙を書いたヨハネが体験したことが生き生きと表現されています。

 このように詳しく「いのちのことば」を初めに紹介するのは、「みことばの光」の「ヨハネの手紙第一を読む前に」にあるように、当時の教会の中に実際にイエスが人としておいでになったのを否定するおしえが入り込んで、混乱させていたという背景があるからです。

 「このいのちが現れました」ということばが心に留まりました。このお方との毎日の時間がより豊かなものとなるようにとのヨハネの願いが伝わってくるような一言です。


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