みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ざるで水を汲むような

2017年02月25日 | 申命記

申命記 28章38−57節

 木曜日の夜誘われて、ずっと福島第一原発の取材を続けている方の講演会に出てきました。その方の話によれば、復興や避難解除の声にかき消されようとしているけれども、本当のところ放射能被害は深刻だとのことです。自分の国のこと、自分の身近のことであるにもかかわらず、大切な情報が届けられていないということに歯がゆさとやりきれなさを覚えました。

 イスラエルの民が神のことばに従わないならのろわれるとの警告のことばが続いています。種を蒔いても、ぶどう畑を耕しても、オリーブの木があっても、決して実りを見ることがないというのです。38節から44節で描かれているのは、「もう少しで収穫だ!」と楽しみにしていたのに、虫に食われて何の実りも手にすることができないという嘆きです。「ざるで水を汲むよう」ということばを思い出しました。また、きょうの箇所の後半にあるのはおぞましい光景。それほど彼らはひもじい思いをするのだということです。

 心に留めたのは、きょうの「みことばの光」のタイトルになっている47節のことばです。「あなたがすべてのものに豊かになっても、あなたの神、主に、心から喜んで仕えようとしない」とあります。豊かになったのは主の恵み。けれども、それをどこかに追いやって、富を喜び、富に仕えることの結末がここにはっきり述べられているのです。


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