申命記 12章
きのうはエルサレムを歩きました。特に昼食の後に訪ねたダビデの町では、ギホンの泉に降り、そこからシロアムの池、さらにダビデの町の通りの下のトンネルを歩きました。ギホンの泉、そこからトンネルを引いたヒゼキヤ王。そして、イエスのことばを信じてシロアムの池に行って目を洗って見えるようになった人に思いを馳せることができました。
「みことばの光」、きょうから申命記12章から後を読みます。約束の地を前にしている民に、モーセはその地でどのように歩むかを具体的に記しています。「申命記12ー26章を読む前に」では、12章から16章17節までを「約束の地における礼拝生活」というタイトルをつけています。
彼らが入って行こうとしている地には、既にカナン人が住んでいました。その人たちは荒野を旅しいてきたイスラエルが恐らく息をのむような文化や富を持っていました。ですから、彼らは自分たちもそうなりたい、彼らと同じようにしたいとの思いを抱くのは明らかでした。けれどもここで、モーセは彼らにカナン人の神々をすべて壊すようにと命令します。それは、主お一人を礼拝し、従うためでした。
心に留めるのは、「喜び楽しみなさい」ということば。この章に繰り返されています。その喜び、楽しみは、主なる神の前で、だというのです。主は豊かな祝福をお与えになる方だから、このお方の前で喜び楽しむようにと繰り返します。ほかのものに心を移してはならない、目移りしてはならないというのです。
だれの前で喜び、楽しんでいるのかと、立ち止ります。