みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

どこにとどまるのか

2017年02月04日 | テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 3章

 金曜日は死海の東側をマサダ、エン・ゲディ、クムランと北上し、主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたと伝えられている場所、また、さらにヨシュアがイスラエルの民を引き連れてカナンに入った場所を訪ねました。その後、ダビデがサウル王とヨナタンの死を悼んで「弓の歌」を詠んだ、ギルボア山に向かいました。一日のうちに、荒涼とした地から緑豊かな地への大きな変化を、わずかな時間の経過の中で感じ取ることができました。

 終わりの日に訪れる困難な時代について、パウロは「よく承知しておきなさい」とテモテに勧告します。人々がどのような問題をはらむようになるのかについて、具体的にいくつかのことを挙げているのです。パウロは、ここにある人々を「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者」なのだと言います。

 一方でパウロは、テモテに「学んで確信していたところとどまっているようにと勧めます。幼いころから聖書に親しんで来たテモテに、これからもそれにとどまるようにと言っているのです。

 多くの指針や基準というものが、時代に流され消え去っていく中、聖書は有益であり続けます。神のことばだからです。「ああ、このことばは既に1000年前に無効になりました」とか「新しい教えに替わりました。ここからここまでを削除し訂正してください」などということがありません。

 私の今回の旅は、聖書の確かさ、有益さを辿るもののように思えてきています。

*死海での日の出


2011-2024 © Hiroshi Yabuki