みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

礼拝は生活につながる

2015年02月19日 | レビ記

レビ記 19章1−18節

 今年は日本海側や北海道などでは雪が多く、郷里が青森の方は、きのうの祈りの会で雪下ろしをするご両親のために祈ってほしいと願っておられました。雪の多い所にお住まいの方は、どんなにか春の訪れを待ち焦がれていることでしょう。

 主が聖い神であられるので、イスラエルの民は周りの風習に流されず、染まらずに歩まなければならないとの戒めは、人間関係にまで及びます。ここに十戒が登場します。しかもその順序はユニークです。

 第5戒が先に来ます。「神への畏敬は、日常生活の中で、父母を恐れることから始まる」と「みことばの光」にあります。親がどうだとかこうだとかと敬わない理屈を並べる向きもありますが、とにかく親を敬うことから人間関係はスタートするということでしょう。しかし、それは簡単なことではありません。この戒めに生きようとするならば、安息日を守り神を覚えることが求められます。

 そして十戒の、第6戒目以下とかかわる戒めが続きます。それは「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」とのことばで括ることができるのです。隣人を愛する生活は礼拝へと通じ、礼拝は生活につながっているのですね。

 きょうの「みことばの光」に、「良い親だからではなく、親が親であるゆえに敬う。不思議にも、神のみわざはここから始まる」ともあります。自分のこれまでを振り返ってみても、そのとおりなのだうなずけるのです。


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