テサロニケ人への手紙第一 1章
集うことが難しい中(今は訪問は一人だけという制限下にあります)で、昨日はいっしょに礼拝をしている方と久しぶりに電話で話をしました。お二方ともお元気そうで何よりでした。「ちょっとお茶でも…」ということもできないので、これは大事な時ですね。今はネット環境がある場所なら、世界中どこへでもビデオ通話ができるのですが、顔を見ないで話すとかえって相手の方のことをいろいろと想像できて、良いのかもしれません。
今は用件があったら、電話、いや、SNSで即座に…という時代ですので、何かの用事があって郵便物が届くというのは請求書か役所からの手紙、ダイレクトメールがほとんどかもしれません。しかし少し前までは互いの消息の確認を手紙や葉書でしていました。新約聖書が描く時代の通信手段といえば手紙でしょうか。しかも、手紙は親しい人などによって運ばれ手渡しされていました。手紙を書き、それが届き、そして返事が返って来るまで、いったいどれくらいの時間がかかったのだろうかと想像してしまいます。
テサロニケ人への手紙は、書き出しにあるように使徒パウロが今のギリシアにあるテサロニケの教会に送った手紙です。この地に教会ができたのは、パウロたちによるいわゆる第二次伝道旅行によってです。これについては「みことばの光」1月号の「テサロニケ人への手紙第一を読む前に」に詳述されていますので、お読みください。
生まれたばかりのテサロニケ教会のことが心に掛かっていたパウロは手紙を送ります。その初めの章でパウロは、この教会の素晴らしい信仰を喜び神に感謝しています。その中に、「主のことばがあなたがたのところから出て、…響き渡った、…あなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっている」とのパウロのことばがあります。パウロは何も言う必要はないとまでいうのです。それは、大声で神のことばを伝えたということによるのでなく、彼らの生き方、歩みがそうさせたのではないかと、考えます。