テモテへの第二の手紙 4章9-22節
土日と甲府の教会に伺いました。
土曜日の午後に日曜学校の教師の研修会①、日曜学校の礼拝のお話、保護者の方とのひととき、礼拝での説教、そして、午後の研修会②。「子どもたちに福音を~教会に子どもがいなくなる前に」」という主題をいただき、二日間教会での子どもたちのことをいろいろな角度からいっしょに考えました。
しばらくぶりでお会いした人もあって、懐かしさとともに、変わらずに教会にあって主に、そして子どもたちのために奉仕しておられるお姿に励まされました。
手紙の終わりには、「みことばの光」にあるようにパウロやテモテとかかわりのある人々の名前が出ています。私たちにもなじみの名前もありますね。私はマルコを思いました。(もちろん一度も彼に会ってはいませんけれども!)
パウロとバルナバとによる第一次伝道旅行に助手として同行したマルコは、旅の途中でエルサレムに戻ってしまいます。次の伝道旅行にマルコを同行させるかをめぐって、パウロとバルナバが衝突。結局バルナバがマルコを引き受けることになったという出来事がありました。
その時パウロはマルコについて次のように考えていました。「…仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよい。」
けれども今は違います。「彼は私の務めのために役に立つからです」と書いています。マルコはいらないとかつては考えていたパウロが、今はテモテといっしょに来てほしいと願っているのです。
「みことばの光」には、「マルコが変えられ、パウロも変えられた証しである」とあり、「主にある成長の実例がここにある」と書かれています。
二人に、主にある者のおおいなる可能性を覚えました。
土日と甲府の教会に伺いました。
土曜日の午後に日曜学校の教師の研修会①、日曜学校の礼拝のお話、保護者の方とのひととき、礼拝での説教、そして、午後の研修会②。「子どもたちに福音を~教会に子どもがいなくなる前に」」という主題をいただき、二日間教会での子どもたちのことをいろいろな角度からいっしょに考えました。
しばらくぶりでお会いした人もあって、懐かしさとともに、変わらずに教会にあって主に、そして子どもたちのために奉仕しておられるお姿に励まされました。
手紙の終わりには、「みことばの光」にあるようにパウロやテモテとかかわりのある人々の名前が出ています。私たちにもなじみの名前もありますね。私はマルコを思いました。(もちろん一度も彼に会ってはいませんけれども!)
パウロとバルナバとによる第一次伝道旅行に助手として同行したマルコは、旅の途中でエルサレムに戻ってしまいます。次の伝道旅行にマルコを同行させるかをめぐって、パウロとバルナバが衝突。結局バルナバがマルコを引き受けることになったという出来事がありました。
その時パウロはマルコについて次のように考えていました。「…仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよい。」
けれども今は違います。「彼は私の務めのために役に立つからです」と書いています。マルコはいらないとかつては考えていたパウロが、今はテモテといっしょに来てほしいと願っているのです。
「みことばの光」には、「マルコが変えられ、パウロも変えられた証しである」とあり、「主にある成長の実例がここにある」と書かれています。
二人に、主にある者のおおいなる可能性を覚えました。