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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

マルコを伴って

2017年02月06日 | テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 4章9−22節

 日曜日の昨日は、ナザレの「突き落としの崖」と呼ばれている場所で礼拝をしました。ルカ4章14−30節に記されている出来事と関連のある所です。午後はメギドを経てカイザリヤへ。パウロがここ二に年間留め置かれた後、ローマに向かって船出したところです。

 パウロの地上生涯最後の手紙と言われるテモテへの手紙第二も、終わの挨拶の部分になりました。ここでパウロはいろいろな人々の名前を挙げています。「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴っていっしょに来てください」、「私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました」などということばから、パウロの孤独が伝わってきます。

 本当にパウロはテモテに自分の所に来てほしいと願っていたのでしょう。その中で、マルコについて「彼は私のつとめのために役立つからです」とのことばにと安堵する人は多いことでしょう。第1回目の伝道旅行ではどういうことか途中でかえってしまったために、二度目の伝道旅行の前に、マルコと連れて行くか行かないかでパウロとバルナバが激論をし、その結果、二人は別行動を取ることになったのは、使徒15章36−40節によって確認できます。

 挫折、失敗した人が立ち直って、パウロの務めに役に立つ、いや、主イエスの役に立つ人となるために、バルナバが、他にも多くの人々が用いられたことだろうと思います。「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら兄弟を、兄弟たちを力づけてやりなさい」と主イエスがペテロにおっしゃったことばを思い起こしました。

*ガリラヤ湖の日の出


どこにとどまるのか

2017年02月04日 | テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 3章

 金曜日は死海の東側をマサダ、エン・ゲディ、クムランと北上し、主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたと伝えられている場所、また、さらにヨシュアがイスラエルの民を引き連れてカナンに入った場所を訪ねました。その後、ダビデがサウル王とヨナタンの死を悼んで「弓の歌」を詠んだ、ギルボア山に向かいました。一日のうちに、荒涼とした地から緑豊かな地への大きな変化を、わずかな時間の経過の中で感じ取ることができました。

 終わりの日に訪れる困難な時代について、パウロは「よく承知しておきなさい」とテモテに勧告します。人々がどのような問題をはらむようになるのかについて、具体的にいくつかのことを挙げているのです。パウロは、ここにある人々を「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者」なのだと言います。

 一方でパウロは、テモテに「学んで確信していたところとどまっているようにと勧めます。幼いころから聖書に親しんで来たテモテに、これからもそれにとどまるようにと言っているのです。

 多くの指針や基準というものが、時代に流され消え去っていく中、聖書は有益であり続けます。神のことばだからです。「ああ、このことばは既に1000年前に無効になりました」とか「新しい教えに替わりました。ここからここまでを削除し訂正してください」などということがありません。

 私の今回の旅は、聖書の確かさ、有益さを辿るもののように思えてきています。

*死海での日の出


何を語るか

2017年02月03日 | テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 2章16−26節

 ベエル・シェバからツィンの荒野、死海までが二日目の旅路でした。ツィンの荒野の荒涼とした風景と、それを不屈の心で緑化しようとした人々の顔とを交互に思い浮かぶような景色とを見比べました。

 パウロはここで、テモテにことばのことで、してはならないこととしなければならないこととを明らかにしています。

 してはならないことは、「ことばについての論争」、「俗悪なむだ話」、そして「無知な思弁」です。それらは聞く人を不快にさせるどころか、信仰を覆すほどの影響をもたらします。

 そうではなくて、「真理のみことばをまっすぐに説き明かすように」、「すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び」、「反対する人たちを柔和な心で訓戒」するようにと勧めます。   

 教会はことばを大切にするところです。礼拝では聖書からの話が語られ、自分たちの信仰を言い表し、祈りがささげられます。もしも、教会から「語ること」「聞くこと」がなくなったら、また、語るべきことが曲げられたらどうなるのだろうと考える箇所です。


強くなりなさい

2017年02月02日 | テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 2章1−13節

 きのうから19名で、イスラエル旅行に来ており、今はベエル・シェバのホテルでこの文章を書いています。途中、エーゲ海上空を通過しましたので、持っている地図と照らし合わせてみますと、パウロが第三次伝道旅行からの帰路に立ち寄った地名が次々に窓の外に現れてきます。写真はロドスです。

 「パウロはアソスで私たち(ルカたち)と落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネについた。それから出帆して、翌日キヨスの沖に達し次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。」(使徒20章14−15節) 「私たちは彼らと別れて出版し、コスに直航して、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。〜下線部は上空から確認できた地名です。今なら飛行機で数十分で通過する所を、パウロやルカがどれほどの時間と労を費やして旅をしたかと思うと、しかもそれをただ主イエスのためにしたのかと思うと、感無量でした。

 そのパウロが、エペソのテモテに励ましの手紙を二通書いています。きょうの箇所はパウロへの励まし。「みことばの光」が書くように、強くありなさい。ゆだねなさいという命令が中心にあります。

 「強くあれ」というと、がんばれ、がんばれ!というように響きますが、パウロは「キリスト・イエスの恵みによって」と書いています。さらにパウロは、自分の境遇の中からテモテに励ましを与えようとしています。ともにおられるキリストの恵みが弱さの中で苦しむあなたを強くするのだと励ますのです。

 13節はしばしば、自分はダメだけれどもイエスさまはそうだねという、聞き様によってはダメで当たり前のような用い方がされることばかもしれません。けれども、その前の「もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる」ということばを読めば、そんな意味で言ってはいないことに気づきます。

 だから、イエスの恵みによってしか強くありえないのだと、改めて教えられるのです。


おくびょうな人に

2017年02月01日 | テモテへの手紙第二

テモテへの手紙第二 1章

 きょうから2月。いつもいつも思うのですが、1月は日が経つのがとてもゆっくりに感じるのですが、2月を迎えるとあっという間に年の終わりを…と言ったように時が流れます。

 「…ファースト」ということばがあちこちで聞こえてきますが、そうでない人を貶(おとし)めたり、封じ込めたりということに至るのに気づいてはいないのでしょうか。「本当の喜びは、私たちがほかの人々と同じように脆(もろ)く、いずれは死ぬ者であるところに隠されています。それは人類の一員であるという喜びです。友人として、仲間として、旅の道連れとして、ほかの人々と共にいるという喜びです。これがイエスの喜びです。そしてイエスはインマヌエル「神われらと共にいます」方です。(ヘンリ・ナウエン「今日のパン、明日の糧」)

 パウロは、テモテから離れていましたが、共にいようと努めました。おくびょうなテモテを、何とか励まし支えたいと思っていました。人は臆病になると力を失い、自分の殻の中に引きこもり、分別を失います。パウロがテモテに「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です」と伝えたのは、テモテがそのような中に落ち込もうとしていたのを知ってのことだったと思います。

 「力と愛」ということばは何となくわかるのですが、「慎み」とはどのようなことでしょうか。新共同訳聖書はこれを「思慮分別」と訳します。びくびくすると人はパニックに陥ります。イエスを信じる一人一人のうちに生きておられる聖霊は、そのような中で思慮分別を保つように励ましてくださるのではないかと考えるのですが…。


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