ルカの福音書 15章11―24節
「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」15章20節
熱波が来るとのことで、きょうから来週木曜日ぐらいまでは、気温がぐっと上がるとの予報が出ています。暑さの中でのマスクは、厳しいものがありますね。
罪人(つみびと)たちと一緒に食事をしていると文句を言った「正しい人たち」へのイエスの話の三つ目が「放蕩息子の話」としてよく知られているものです。わがまま勝手な弟息子が放蕩三昧の挙げ句、父親のところに戻って行ったところ、父親は彼の帰りをたいそう喜び、息子として迎えて大きなパーティーをしたというのが、この話の前半。
読むたびに、20節の家まではまだ遠かったのに、父親が彼を見つけたということばからあれこれと想像します。「親不孝な奴だ、帰って来ても赦さない」と怒るのでなく、「帰って来て謝ったら赦してやろうか」と悠然と待つのではありません。
家まではまだ遠かったのに父親が彼を見つけたということばから、息子が家を出て以来この父親がどのような思いでいたかが伝わってくるように思います。「反省のことばを聞きたい」でもなく「謝ったら家に入れてやるでもなく」見つけると駆け寄って抱きしめたのです。人間関係でしばしば見られる絆、愛をはるかに超えた愛をこの父親の姿に見ます。
駆け寄る父親の姿に、永遠の隔てを超えて人として来られたイエスが重なります。ありがたい…