ルカの福音書 24章36−53節
「彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。」24章52−53節
残暑も昨日までで、今日からは最高気温が20度台になるとの予報が出ているのですが、さて実際はどうでしょうか。
「あの日曜日」の弟子たちは悲しんだり、恐れたり、喜んだりと、まるでジェットコースターのような感情の起伏を経験したのではないか、とルカの福音書の終わりの部分を読んで思いました。しかし、死んでしまわれたと思っていた主イエスが突然自分たちの前に現れるということが起こったのですから、幽霊を見ていると思っておびえるのも無理はありません。
幽霊ではなくて、体をもってよみがえられたということを明らかにするために、イエスが魚を召し上がったという記事には、ユーモアを感じます。この後主イエスは、ガリラヤ湖畔で弟子たちに焼いた魚を給仕しておられます。魚を召し上がるイエスを見る弟子たちは、どんな表情をしていたのだろうかと、想像が膨らみます。恐れがたちまち笑顔に変わり、歓声さえ上がったのではないでしょうか。
喜びの理由はイエスがよみがえられたこと、なのです。
しかし、話はそれで終りではありません。イエスは弟子たちに大きな使命を与えられます。それは、エルサレムから始めて、全世界に福音を宣べ伝えるということでした。壮大な使命です。それを、この時までの彼らを見たら頼りにならなそうな弟子たちに託されるのです。いや、頼りにならないと勝手に思っているのは私たちで、イエスご自身は弟子たちを、使命遂行に適任だとして遣わそうとしておられるのです。
もちろん彼らの力量がそうだったからではありません。イエスの昇天後10日目に起こった出来事、つまり聖霊が彼らの上に臨まれたことで、彼らはこの使命を行うための証人となります。