詩篇 18篇30−50節
ウクライナで牧師をしている方からのニュースレターが届きました。その中に「教会は『日常』を守り続ける」ということばがありました。
18篇は、サムエル記第二22章と同じ内容です。サムエル記はサムエル〜サウル〜ダビデとイスラエルが王を持つようになる過程を描いていますが、22章には自分の生涯を振り返って神を賛美し、神に感謝するダビデの思いが込められています。
30節の「神 その道は完全。主のことばは純粋。主は すべて主に身を避ける者の盾」ということばが心に留まります。
「神 その道は完全」ということばからは、人が人生でたどる道の不確かさ、危うさのようなものが浮かび上がってきます。ダビデのようにその不確かさや危うさは、サウルやわが子アブサロムによってもたらされました。敵地に逃れたために彼はいのちの危険を感じました。しかし、そのような危うさはダビデ自身が蒔くことによっても起こります。
「右にも左にもそれずに、ただひたすらに神が望まれた道を歩き通した」と誇れるほどの自分ではありません。信仰者を支えるのは神であるということをこのことばは伝えます。
「主のことばは純粋」ということばからは、人間のことばがそうではないと言われているようです。ダビデも人のことばによってもてあそばれるようなことを何度も経験しました。たくさんのことばが私たちの耳に飛び込んでくる今、そして、次々とことばが新しいものに取って代わられる今でも、変わることのない神のことばがあるのです。
そしてダビデは、人生を貫いて主こそ自分の唯一の避け所、盾なのだと言い切っています。自分の功績に満足しているのではない姿に、多くを学びます。