詩篇 65篇
久しぶりに賑やかな都会を歩きました。変わらずに同じ場所に書店があり、デパートがあると懐かしさをおぼえますが、大きな変化に戸惑う所もありました。
本篇は「神よ 御前には静けさがあり、シオンには賛美があります」で始まります。ある英訳の聖書はここを「沈黙はあなたへの賛美、シオンに住まう神よ、そして服従でもあります」と訳します。かなり訳者の解釈が込められているとは思いますが、神の御前での「静けさ」「沈黙」とはどのようなことなのだろうかと考えるきっかけになると思います。
ダビデが沈黙について深く考えることに至るのは、主が自分の数々の咎を、神への背きを赦してくださるからです。
ダビデも含めて、だれ一人神の前に胸を張って、「私はあなたのみこころにかなう義人です」と言うことはできません。それは本当の意味で私たちの心を騒がせる事実なのですが、それに気づくことはまれです。
人が、静けさや沈黙よりも賑やかさを求めるのは、御前に立たないでいようという思いに基づくのではないだろうかと、ここから考えました。ここでの沈黙、静けさは赦された者に神が与えられた贈り物のように読みました。
その静けさを持つことができる者の幸いは4節で高らかに歌われています。そして、5節以降に目につくのは「あなたは…」ということば。神のみわざの豊かさや細やかさを、ダビデは喜びとともに歌い上げています。
この週末に、「あなたは…」と、神が自分になさっておられることを静けさの中で考え、主への賛美、感謝として何をことばで届けましょうか。