雅歌 2章
久しぶりのお湿りで、木々や草花はホッとしているように見えます。予報どおり、気温は昨日よりも一気に10度以上も下がりました。
2章1節の「シャロンのばら、谷間のゆり」について、今日の「みことばの光」は「洗練されていない野生の草花」とし、劣等感をぬぐえない女性の心情を表しているようだと書いています。「ばら」は「サフラン」とも訳され、文語訳聖書は「野花」とあります。「シャロン」というのは、今のイスラエルの地中海沿いのテルアビブから北、カルメル山までの南北に長い地域で、肥沃な地です。
多くの人に親しまれている聖歌580は、「香り妙なる シャロンの野花よ」と歌います。この讃美歌はイエス・キリストを「シャロンの野花」にたとえています。
自信なさそうに「シャロンのばら、谷間のゆり」と自分をたとえる女性を、男性は、「茨の中のゆりの花のよう」と言います。茨だとたとえられた娘たちはさぞや憤慨することでしょう。しかし、男性はもちろん娘たちをおとしめているのではありません。愛する女性を誰よりも美しいと賞賛しているのです。すると女性は、愛する方を「林の木々の中のりんごの木のよう」と、これまた他の誰よりも素晴らしいと賞賛します。愛する相手は、自分にとって抜きん出て大切であり、輝いているのです。
雅歌では、二人を取り巻く人々があちこちに登場します。二人の間柄を気にかけて、時には冷やかしているようなエルサレムの娘たちに、「愛がそうしたいと思うときまでは」そっとしておいてほしいと願っています。
「愛があるなら…」と互いに相手を求め合い、感情のままに突き進んでもいいのだなどとはやし立てる中で、燃えるような思いを抱きながらも、抑制の効いた行動をとろうという女性の姿は、「自分で良いと思うのがいちばん良い」のではなく、すべてことには定まった時期があるとする、全能者への信仰を垣間見ることができます。