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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

権力者の恐れ

2022年04月14日 | ダニエル書

ダニエル書 4章1−18節

 今週は、家から外に出るとひんやりとした空気を感じることがなくなりました。窓を開けると鳥のさえずりが聞こえます。けれども、それほど遠くない所では着弾のすさまじい音が響いています。死をもたらす音です。重い心を引きずりながら歩んでいる方々が少なくないこの頃です。

 バビロン王ネブカドネツァル王は、神の特別の顧みを受けているのでは…というのは、昨日の祈祷会でのある方のことば。確かに、ダニエル書の2−4章では、彼がダニエルや三人のユダヤ人たちを通して、神の偉大さをはっきりと分かるようにして知らされています。

 きょうの「みことばの光」は、この章の構造を分かりやすく示しています。確かに、4章は神への賛美で始まり、神への賛美で終わります。しかも、賛美するのは、3章で自分が造った金の像、それはおそらく彼自身を形にした者だったことでしょう、を拝めと強要する独裁者。その王が、ダニエルたちの神を賛美するのです。

 この部分で王は、自分が見た夢をベルテシャツァル、つまりダニエルに話して聞かせています。この時ダニエルは「呪法師の長」という務めだったことが分かります。2章でダニエルが王の夢の内容とその意味を解き明かしたことによって、ダニエルはネブカドネツァルのもとで高い地位に就き、王の信頼を得ていたことが分かります。

 それは、ダニエルが王にへつらったから得たものではありません。いと高き神への信仰を貫き通したことによって得た、神からの賜物でした。

 なぜ王が夢を見ておびえているのかは、天からの聖なる者が繁栄する木を切り倒せと命じたからです。王は、この木が自分のことを指していると分かっていました。権力を持つ者には怖いものはないと思いがちですが、そうではないことがここから分かります。自分がその権力を失うことを恐れているのです。

 「主は与え、主は取られる」という姿勢の清々しさを、ここから思います。


恐れるべき相手

2022年04月13日 | ダニエル書

ダニエル書 3章16−30節

 三人のユダヤ人は縮こまることなく、いのち乞いをするでもなく、王が拝めと強制した金の像を拝まないと王に答えました。バビロンで王の命令に逆らう者は一人もいない中、彼らは自分たちがひざまずいて拝むのは主なる神お一人だとの姿勢を貫いたのです。

 こんな場面である人は、「心を売り渡すのではないのだから、形だけでも拝んだらいいのではないか」と考えるかもしれません。けれども三人にはそのような選択肢はなかったのです。神おひとりへの忠誠を貫き通す自分たちを、神は助けてくださると信じ、そうでなかったとしても、悔いはないと明言するのです。

 その後で起こったのは信じがたいようなこと。高温の炉に投げ込まれた三人は少しの火傷も、衣服の焼け焦げもなく、炉の中から出て来たのです。私たちの身の回りでは起こりえないことです。だからといってそんなことは実際はなかったと片づけることはできません。三人がいのちをかけて信仰を貫き通した神は、このようなことをなさる方なのです。

 この出来事は、人は何を恐れるべきなのかをはっきり伝えています。イエスのことばを思います。

「わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。」ルカの福音書 12章4−5節


楽器の音を聞いたとき

2022年04月12日 | ダニエル書

ダニエル書 3章1−15節

 今週と来週はイースターのお休み。お店にはイースター関連のグッズがたくさん並んでいます。そして卵やウサギのチョコレートがずらり。美味しそうです。でも、どうしてイースターにチョコレートなのだろう…?

 前章ではダニエルがネブカドネツァル王の夢の内容と意味を解き明かしたことによって、ダニエルの神こそ神々の中の神だと、王がひれ伏したことがありました。

 同じ王がここでは、巨大な金の像を建てお偉方を集めての奉献式を行うのです。今日の「みことばの光」は、ネブカドネツァルの「回心」がごく表面的なものだったと書いています。権力者は自分の威光を知らしめようとするためにあらゆることをします。王が金の像を建ててこれにひれ伏すのを強制するのは、そのことの一つです。

 このような体制下では、絶対的な権力者に取り入ろうとする者が必ず出てきます、ここでは、ユダヤ人を中傷して王に告げ口をする者がいました。そこで三人のユダヤ人官僚が王の怒りを買い、金の像を拝むようにと厳しく迫られます。

 この部分には、さまざまな楽器が奏でられるという文が四回も登場します。この場合音楽は王の権威を否が応でも高める演出をするのです。人の心を神から背けさせるための合図として音楽が用いられます。そして、金の像を拝まない三人のユダヤ人にとってこの音楽を聴くことは、いのちの危機へとつながる合図でした。

 ここから考えるのは、音楽は何のために……ということ。


あなたがたの神こそ…

2022年04月11日 | ダニエル書

ダニエル書 2章25−49節

 「棕櫚(しゅろ)の日曜日」の昨日、20名のお友だちが集まっての「子ども会」がありました。さまざまの模様の紙ナフキンを用いてのロウソク作り、卵探し、卵運びスプーンリレー、そして玉入れならぬ卵入れ(卵はプラスチック製ですが…)よく考えられた内容で、2時間はあっという間に経ってしまいました。礼拝堂でみんなが作ったロウソクに火をつけ、ウクライナに平和をと祈りました。

 2章には、ダニエルの名がバビロン中に知れ渡ることになる出来事が記されています。ネブカドネツァル王の夢の意味の解き明かしです。それも、王がどのような夢を見たのかを聞いてからではなく、王のほかには知るはずのない夢の内容を正確に語り、解き明かしたのです。

 ダニエルは、バビロン、ペルシア、ギリシア、そしてローマの巨大国家が次々に興っては消えて行くと語ります。独裁者である王の前でその国が滅びて別の国に取って代られることを語るのは、よく考えるならば勇気のいることです。

 しかし彼は、ネブカドネツァルに媚びることなく、王の見たままを言い当てます。ダニエルからは、神のみを恐れる潔さのようなものが伝わってきます。だからこそ、王はダニエルのことばに激怒することなく、「ひれ伏してダニエルを拝し」言うのです。「あなたがこの秘密を明らかにすることができたからには、あなたがたの神にこそ、神々の中の神、王たちの主、また秘密を明らかにする方に違いない」と。

 「あなたは素晴らしい」ではなくて、「あなたの神こそ…」と言われるような生き方とは何だろうと、ここから考えます。


すべてにおいてまさる者に…

2022年04月09日 | ダニエル書

ダニエル書 1章

 牛テールのスープをいただきました。おそらくたくさんの時間をかけてつくられたものでしょう。とても美味しかったです。

 本書は、南王国ユダ末期の出来事を記しています。「エホヤキムの治世の第三年」とは紀元前605年のこと。この年にバビロン王ネブカドネツァルはエルサレムを包囲し、多くの宝物を運び、バビロンのために役立つ人々を自国に連れ帰りました。ダニエルはその中の一人でした。1章21節に「ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた」とあります。彼は70年近く異国の地にいたことになります。

 本書には1−6章まででダニエルの異国での生活が、7―12章で神がダニエルに見せられた未来についての幻が収められています。

 1章には異国に強制的に移された少年たちにどのような戦いが待っていたのかが描かれます。4節に、彼らがバビロンに連れて行かれた理由が明らかにされています。王の宮廷に仕えるために、身体的にも知的にも優れていたのです。彼らはバビロンで王に仕えるために教育されるのです。

 しかし、それは彼らに大きな葛藤を経験させるものでした。彼らは神に選ばれたイスラエルの民として、神への信仰を貫こうとしたからです。たとえバビロン風の名前を持ち、バビロン風の容姿をしなければならいとしても、彼らには決して譲ることのできないものがありました。

 彼らはいわゆる「ダブルスタンダード」に走ることなく、あくまでも神への信仰に生きようとしました。それは絶対的な権力を持つ独裁者の前ではいのちの危険を意味していたのです。ここでは、少年たちの信仰の姿勢をご覧になった神が、どのようにして彼らを守り、いや、守るどころか異国の権力者に付け入る隙を与えないほど彼らを秀でた者にしてくださったかが分かります。

 今も神は、自分に信頼して歩もうとする一人一人に同じようなことをしてくださる、と信じます。


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