goo blog サービス終了のお知らせ 

みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

悩み、おびえるとき

2022年04月22日 | ダニエル書

ダニエル書 7章

 久しぶりに近所のスーパーに買い物に行きました。ヨーグルトを買いに行こうと出かけましたが、いろいろなものをカゴの中に入れていました。立派な大根!!を発見。早速購入。油揚や豆腐、そして納豆なども買い求め、帰宅して「安いものばかり買ってきた」と、ほぼいっしょに二人でつぶやいたので、笑ってしまいました。

 本章は、笑って読み飛ばすような内容ではありません。ダニエルがこの夢を見たのは、ベルシャツァルの元年。「みことばの光」には紀元前555年ごろのことだと書かれています。また8章の初めには「ベルシャツァル王の治世の第三年」ともあります。ですから、7−8章に記されている出来事は、4章と5章との間に起こったものです。

 すでにダニエルは、ベルシャツァル王の父、ネブカドネツァルが見た同じような夢の解き明かしをしています。そして改め王が替わった年に、今度はダニエル自身がこの夢を見るのです。絶対君主の絶頂期に、そして王位継承と同じ頃に彼は、この世界の王たちによる支配が次々と変わるということが知らされるのは、ダニエルにとってどのような思いだったのだろうと想像が膨らみます。

 王の夢については、その内容ばかりでなく解き明かしまでできたダニエルでしたが、ここでは夢を見たダニエルが「悩み、…おびえた」と15節にあります。そして彼は、傍に立っていた者たち、神の使いに尋ねます。

 人は、知らないことゆえに悩みおびえます。出口が見えにくい二つの大きな出来事ゆえに、私たちは悩み、おびえます。ある方にメールを送るときに、ふと思いました。このような時に、傍に立つお方に聞くことのできる幸いを思います。


以前からしていたこと

2022年04月21日 | ダニエル書

ダニエル書 6章

 ほぼ1年ぶりの帰国。昨年は検査書類の不備が理由でホテル隔離が6日間という番狂わせがありましたが、今年はすんなりと入国でき、隔離なしの生活がすぐに始まりました。

 バビロンの次に世界を席巻したのはメディア。ダニエルは、メディア王ダレイオスにも重用され、高い位に就きます。支配が変わると、前の王国での要職は失職するか、最悪の場合はいのちさえ取られかねません。しかし、ダニエルは二つの大国で王に次ぐ地位を与えられるのです。ダニエル書をここまで読んできますと、ダニエルがどのような人物だったかが分かってきます。これまでも本欄で書いてきましたが、彼は王に媚びることなく自分の与えられた分をわきまえています。これが、ダニエルの魅力なのかもしれません。

 しかし、それを単に人間の能力や魅力で片づけてしまってはならないと、聖書は伝えます。神は人を選び、用いられます。あるいは人を権力のある力引きずり下ろし、あるいはいのちさえ奪われます。4章に描かれるベルシャツァルがその例でした。

 本章には、ダビデがねたまれて、いのちを失われる危機に直面したことが描かれています。その時彼は「以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた」のです。そんな法令に王が署名したならば、これからは人の見えないところで祈ろうとすることでしょう。

 これまでずっとしてきたことを変えないものは何でしょうか。


愚かな人と賢い人

2022年04月20日 | ダニエル書

ダニエル書 5章17−31節

 搭乗予定の便が欠航になり、翌日の別の便に振り替えになりました。そこで、夕食のためのバウチャーをいただき、空港近くのホテルに泊まりました。搭乗72時間前以内のPCR検査が無効になるのでは…と尋ねると、イレギュラーの出来事なのでだいじょうぶとのこと。さて、その結果は…?

 ダニエルが王の前に連れて来られました。王のおびえとは対照的にダニエルは落ち着いていると、ここを読んで思います。

 彼は、父王ネブカドネツァルに重用されていた時と変わることなく、だれを恐れるのかを常にわきまえており、たとえ王への厳しいことばを伝えなければならないときでも、人に媚(こ)びることなく恐れずに、ベルシャツァルに神のさばきのことばを伝えます。

 相手によって話し方を変えたり、内容さえもゆがめたりするのは、保身のためによく為されることです。そのような誘惑に抗(あらが)う力は、神を恐れることから来るのです。

 ついに、不思議な文字の意味が明かされます。それは、王の不敬虔を神がさばき、バビロンが分割されてしまうということです。29節に目が留まります。彼は厳しいさばきが宣告されても悔い改めることなく、王としての体面を保とうとしたのでしょうか、ダニエルへの処遇を伝えるのです。人生最後の愚かな選択でした。

 今何を為すかをわきまえているのは真に賢い人です。その知恵は神を恐れることから来るのです。


王がおびえる時

2022年04月19日 | ダニエル書

ダニエル書 5章1−16節

 月曜日はイースターの休日。通りは人も少なく何となくゆったりとした一日でした。暑くもなく寒くもない、新緑の季節です。

 ダニエル書は、4章と5章の間に時間的な開きがあります。5章には、ネブカドネツァルの後継者ベルシャツァルが描かれています。

 ネブカドネツァルがどのような死を迎えたのかは分かりません。昨日の「みことばの光」には、「ネブカドネツァルに関する記録は最初の11年しか残っていない」とありました。しかし4章までには、彼がいわゆる「神のお取り扱い」を何度も受け、その度に高慢がへし折られるという体験をしたことが書かれています。

 後継者はそうではなかったのです。ベルシャツァルには神への恐れが見られません。ここには、不敬虔とはこのようなことだとの実例が挙げられています。

 9節に目が留まります。王のおびえです。自分の思いどおり人を動かし、事を為す権力者にも恐れることがあるのだと分かります。それは、自分の知恵や力を超えたことを体験した時です。

 父ネブカドネツァルも、そしてベルシャツァルも、そばに呪文師や占星術師を置いていました。それは絶対権力者といえども、この先に何が待ち構えているのかが分からないという恐れを抱いていたからです。人の弱さやはかなさを、独裁者の姿に見ます。

 明日何が自分に待ち構えているかは、だれにも分かりません。だからこそ、聖なる神を恐れて歩む幸いを、この箇所から改めて思います。

 王のおびえと、長い間光を浴びられずにいたダニエルの落ち着きが対照的される章です。


理性が戻り…

2022年04月18日 | ダニエル書

ダニエル書 4章19−37節

 イースターをどこで、どのようにお過ごしになりましたか。教会では洗礼式がありました。洗礼を受けた方の「証し」を聞いて、その方といっしょに神がおられ、その歩みを支えておられるのだと、改めて思いました。

 気がついたら近所の街路樹が淡い緑色になっていました。一週間前はまだ灰色に近かったのに…。

 今日から再びダニエル書を読んでいきます。4章後半は、ネブカドネツァル王が見た夢の意味をダニエル(ベルテシャツァル)が解き明かす箇所。ダニエルが恐れを持ちながら王に話したということは、19節の「わが主よ、どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その意味があなたの敵に当てはまりますように」ということばから分かります。

 王がダニエルに大きな信頼を寄せていたということは、自分の見た夢の意味を話すように命じたことからも分かります。しかし、切り倒される木が王を指していると言って、王にいのちを取られるということも起こりうるのです。

 しかし彼は、「王よ、その木はあなたです」と伝えます。絶対君主に仕えるダニエルは、心からそのように歩んでいたからこそ、王の大きな信頼を得たのです。この一言はそのような信頼をまったく損ねる力のあるものでした。しかし彼はまっすぐに語ります。神を恐れていたからです。

 さらに、34節などで「理性が戻り」と繰り返されることばに目が留まります。動物のようになってしまった王に理性が戻った時、彼は神をほめたたえたのです。

 ネブカドネツァル王のこの姿から、人間として何が大切なのかを教えられます。

 大きな力を持つ人は神を恐れることが難しいとは、確かなのかもしれません。しかし、絶大な権力を持っていたからこそ、この時のネブカドネツァル王は自分をはるかに超える神を恐れ、ほめたたえることができたのではないかとも考えることができます。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki