レビ記 8章
きのうの日曜日、東京三河島にある教会に伺いました。この教会のみなさんとは、この10年間、いっしょにライブをしてきたつながりがあります。春には三河島の教会で、そして秋には私たちの教会でライブを年に一度ずつ行なってきました。今年はもうすぐ、3月21日の祝日にあります。
きょうの箇所は10章まで続く「祭司の聖別」についての初めの部分です。8章は祭司が任職されたこと、9章では祭司の務めが始まったこと、そして10章には祭司が起こした事件が記されます。
「みことばの光」が書くように、8章には「モーセは主が命じられたとおりにした」ということばが何度も繰り返されています。出エジプト記29章で主がモーセに教えられたとおりに、大祭司アロンが任命されるということが大切なのだということを、改めて考えます。
人が大祭司を選んで定めるのではなくて、神がお召しになる…この基本は、今の教会が議決機関によってさまざまな務めに就く人を選ぶということにも通じるのではないかと考えます。
昨年「教会が牧師を迎えるということ」というテーマでの研修を持ちました。その中で講師が、どのような方法によって牧師が選ばれ、迎えられるにしても、自分たちが選び迎えたのではなくて、神がお選びになりお遣わしになるのだということが大切、というような主旨のことを話していました。
「命じられたとおりに…」とのことばの繰り返しから、そのようなことを思い起こします。