ヨハネの黙示録 16章12−21節
日曜日は、クリスマスの礼拝を行いました。礼拝、子どもたちの朗読劇、そして軽食をいただきながらのお祝い会の順です。クリスマスに一緒に何かを食べるのは2019年以来のこと。参加したお子さんが2019年のクリスマス会がとても楽しかったので、どうしても来たかったと言っておられました。
ここには、神の憤りの鉢のうち、第六と第七の鉢の中身が注がれる様子が描かれています。
第六の中身はユーフラテス川に注がれると、大河が涸れ、日の昇るほう、つまり東から来る王たちのために道を備えることになると言います。ヨハネがこの幻を見たのはローマ時代ですので、それを背景にして考えると東からローマを攻めるために王たちがやって来るということを言おうとしているのでしょうか。また悪霊どもの霊が出て来て、王たちに戦いを呼びかけるという幻も見られます。
14節に、「全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである」とあります。大河の水が涸れるのも、カエルのような三つの汚れた霊が出て来て王たちに働きかけるのも、このためなのです。
そして王たちの召集場所として、ハルマゲドンという名前がここに登場します。彼らはいったい何のために集まるのでしょうか。自分たちの権力欲、支配欲、拡大欲が集まる動機なのでしょう。しかしそのうちのどれだけが、「神の大いなる日の戦い」のためであることを知るのでしょうか。
これは、国と国との紛争、戦争ということばかりでなくて、個人と個人とのトラブル、確執などにおいても言えることなのではないかと、考えます。「神の…」という視野を持つことの必要をいろいろな場面で思うこの頃です。