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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の大いなる日の…

2022年12月12日 | ヨハネの黙示録

ヨハネの黙示録 16章12−21節

 日曜日は、クリスマスの礼拝を行いました。礼拝、子どもたちの朗読劇、そして軽食をいただきながらのお祝い会の順です。クリスマスに一緒に何かを食べるのは2019年以来のこと。参加したお子さんが2019年のクリスマス会がとても楽しかったので、どうしても来たかったと言っておられました。

 ここには、神の憤りの鉢のうち、第六と第七の鉢の中身が注がれる様子が描かれています。

 第六の中身はユーフラテス川に注がれると、大河が涸れ、日の昇るほう、つまり東から来る王たちのために道を備えることになると言います。ヨハネがこの幻を見たのはローマ時代ですので、それを背景にして考えると東からローマを攻めるために王たちがやって来るということを言おうとしているのでしょうか。また悪霊どもの霊が出て来て、王たちに戦いを呼びかけるという幻も見られます。

 14節に、「全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである」とあります。大河の水が涸れるのも、カエルのような三つの汚れた霊が出て来て王たちに働きかけるのも、このためなのです。

 そして王たちの召集場所として、ハルマゲドンという名前がここに登場します。彼らはいったい何のために集まるのでしょうか。自分たちの権力欲、支配欲、拡大欲が集まる動機なのでしょう。しかしそのうちのどれだけが、「神の大いなる日の戦い」のためであることを知るのでしょうか。

 これは、国と国との紛争、戦争ということばかりでなくて、個人と個人とのトラブル、確執などにおいても言えることなのではないかと、考えます。「神の…」という視野を持つことの必要をいろいろな場面で思うこの頃です。


それでも…

2022年12月10日 | ヨハネの黙示録

ヨハネの黙示録 16章1−11節

 この箇所には、七人の御使いが七つの鉢を次々に注いで行く様子が描かれています。鉢の中にあるのは「神の憤り」です。神が怒りやすいということではなく、これまで忍耐してきた憤りを鉢の中に満たしていると言うことではないでしょうか。

 鉢の中身が注がれる所では、大きな災いが起こります。ここからは、イスラエルの民がエジプトを出る前に、神がモーセによって次々とエジプトに災いを下されたことを思わせます。また、すでにヨハネが見た幻(6章、8章)にも通じます。

 5−7節は、水をつかさどる御使いによる賛美です。御使いは神を正しいお方だと言い、迫害によって聖徒や預言者たちが流した血を、迫害者たちが飲まされたとも言っています。それと関連して祭壇は「あなたのさばきは真実で正しいさばきです」と言っています。

 この世界に神の義が貫かれているとは到底思えません。むしろ、神に逆らい不義を行う者が良い思いをしているように見えることもあります。「神がいるならなぜ…?」という問いかけは度々なされます。けれども、私は7節の「あなたのさばきは真実で正しい」ということばを頼りとしたいと思います。

 「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、 主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ書6章8節


海のほとりで

2022年12月09日 | ヨハネの黙示録

ヨハネの黙示録 15章

 市内中心部で開催されているクリスマス市を訪ねました。たくさんの人で賑わっていましたが、どこかゆったりとした雰囲気がありました。

 ヨハネが次に見た天の光景は、七人の御使いが七つの災害を携えていたというものでした。御使いたちは災害を地に下そうとしているのです。

 1節の「最後の七つの災い」ということばに目が留まります。さらに「ここに神の憤りは極まる」と続きますので、神が地に下す最後の災いであるということが強調されています。この光景は5節以下に続きます。

 そしてその間にあるのが、獣とその数字に勝利した人々によって「モーセの歌と子羊の歌」が歌われることです。

 モーセの歌とは、出エジプト記15章に置かれています。神の激しいさばきがエジプトに下される中で、モーセに率いられるイスラエルの民が海の中を渡ってエジプトを脱出した時に歌われたものです。

 紅海を渡った海のほとりで歌われたモーセの歌、そしてここでは獣と数字に勝利した人々がガラスの海のほとりに立って、神を賛美するのです。またここでは、モーセと子羊とが、主のしもべとして対比されています。

 この歌で神はどのように呼ばれているのかに目を留めてみました。「主よ」「全能者なる神よ」「諸国の王よ」「聖なる方」と、ことばが並びます。これらは、激しい信仰の戦いの中で彼らが神について知ったこと、確信したことです。

 私は神を何と呼び、どのように歌うでしょうか。


忍耐が必要

2022年12月08日 | ヨハネの黙示録

ヨハネの黙示録 14章

 この時期は夕方5時を待たずに暗くなります。冬至までもう少しと思いながら、待降節を過ごすこの頃です。

 黙示録は、ヨハネが次々に幻を見ることで場面転換しています。今度は天上の光景。彼は何を見たのでしょう。

 子羊がシオンの山の上に立ち、子羊とともに144,000人の人たちがいたのです。ヘブル人への手紙12章22節には、「あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びのつどい…」とあります。すでに7章に144,000人が登場しましたが、すべての教会、キリスト者を表す象徴的な数字です。

 ここでは、「竜は海辺の砂の上に立った」という12章18節と、子羊は天上の山の上に立つという対照に目が留まります。さらに、13章16節には獣があらゆる立場の人々右手か額に刻印を受けさせたとありましたが、1節には144,000人の額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていたと対照されています。

 ここには御使いが登場します。永遠の福音を宣べ伝える御使い、バビロンの崩壊を伝える御使い、そして獣の刻印を受けることなく信仰の忍耐を保つように語る御使いです。アジアの七つの教会にとって、キリストを信じる者たちを捕らえ、苦しめ、そして死に至らせる獣のような存在はローマでした。それはまるで立ち向かうことができないほどの圧倒的な力で襲いかかってきたのです。そのような中にある彼らは、ヨハネがここで見た幻をどのように受け取ったのだろうかと、想像します。

 そのような力は、今に至るまで信仰者たちを脅かし、苦しめているのです。この章の後半には希望の約束があります。正しいさばきが行われる時が必ず来る、という希望です。

 「聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰をもち続ける者たちの忍耐が必要である」という12節のことばを心に留めます。


誰を拝むか

2022年12月07日 | ヨハネの黙示録

ヨハネの黙示録 13章

 行きたいと思っていた持ち帰り寿司屋さんを、ようやく訪ねることができました。ご夫妻でしておられます。お店が閉まった時に、いつも感謝の祈りをしているとのこと。私は朝に、このお店を神が祝福してくださるようにと祈っています。

 竜に続いて、本章には獣が登場します。多くの角、頭を持ち、多くの王冠をかぶるその姿は異様です。しかしそれは、地に住む人々を威圧するに十分です。さらに獣は致命傷が治るという、人々が驚愕するような不思議を行うのです。その結果全地は、竜と獣を拝むようになります。「全地」ということばに驚きます。

 また、1節の「獣の頭には神を冒瀆する様々な名があった」ということばに目が留まります。獣は神を冒瀆するために海から上がって来たのです。獣は強大な力と不思議とによってこの世を支配します。それによって子羊を冒瀆し、子羊によって贖われた教会、キリスト者に激しい迫害を加えるのです。

 地に住む者たちは誰を拝むかの選択を迫られます。しかも、竜と獣を拝むようにとの大きな圧力を受けながら…。拝まなければ生活ができないというのも深刻なことです。しかし、屠られた子羊のいのちの書に名が書き記されている者は決して拝みません。誰があがめられるべき、拝むべきなのかを知っているからです。

 ここにあるのは、おどろおどろしい光景。しかし、このような光景でなかったとしても、竜や獣は昔も今も、そしてこれから先においても、地を自分たちに拝ませようと、つまり神を冒瀆させようと、手を変え品を替え圧力をかけてきます。

 「誰を拝むか」はいつも私たちの大きな選択の課題です。


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