列王記第二 15章1−22節
きのう紹介した木苺(ブラックベリー)。まだはしりだそうで本格的に色づくのはこれからとのことです。種や皮を濾(こ)して瓶詰めにすると、とても豊かな気持ちになりました。
きょうの箇所に登場するのは、52年もの間ユダの王位に就いていたアザルヤ(ウジヤ)王と、対照的にその間めまぐるしく取って代わられる北王国イスラエルの王たちです。「みことばの光」が書くように、アザルヤ(ウジヤ)については、歴代誌第二26章も併せてお読みになるのをお勧めします。
アザルヤ(ウジヤ)の治政下のユダは国力が増し、繁栄しました。しかし、晩年はツァラアトに冒され、主の宮から絶たれて隔ての家に住まなければならなかったとあります。歴代誌第二26章16節以下には、なぜ彼がツァラアトに冒されることになったのかの経緯が記されています。心が高ぶり、香を焚いてしまったからです。それは本来祭司が為すべき務めでした。高慢が破滅に先立つとのみことばを覚えます。
さらにアザルヤ(ウジヤ)は、助言者であったゼカリヤの存命中は神を求めたと、歴代誌第二26章5節にあります。よい指導者に恵まれたアザルヤ(ウジヤ)でしたが、指導者がいなくなった途端、心は主から離れてしまいました。信仰の成長のために、神は私たちに信仰の先輩、指導者を与えておられます。けれども、それはやがて一人一人が信仰の自立をはかるまで。「私には指導者は必要ない」などというのもまた高慢な心の現れですが、いつまでも指導者に頼ることで、神への信頼が難しい場合もある、のです。