霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
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聞くも涙、語るも涙の物語

2016-03-16 21:31:13 | 家族
市野々と中里の叔母を伴って西和賀の湯川温泉「栖峰」で一泊して来た。


(昨日、迎えに行った市野々の叔母宅の福寿草)

二人の叔母は共に農家に嫁ぎ、今では考えられないような大変な苦労を経験している。
そんな苦労話しの一端を聞くのも今回の目的の一つだった。
しかし、その苦労の度合いは予想を遥かに上回り少なからずショックを受けた。
特に中里の叔母の苦労話しが印象深かった。

嫁いでから20年以上も姑に仕え、毎日の食事のメニューや来客者に出すお茶や漬物等も含めて生活全般の
一つひとつについてイチイチ姑の指示を仰がねばならなかった。

それは姑が近所の家に遊びに行っている時も同様だった。
たまたま同じ家に数日間連続して指示を仰ぎに行ったら、その家の子供から「この叔母さん馬鹿じゃないの?」
と露骨に言われたこともあった。

また、冬場は炬燵に入ることも許されず、いつも畳の部屋の片隅で針仕事をしていた。


(錦秋湖上流の鉄橋)

そして、次の話しには妻も私も涙なしに聞くことが出来なかった。

嫁であり、妻であり、母であり、労働者であり、家政婦でもあった叔母は幼稚園に行っている我が子の遠足等に
付き添うことも出来ず、いつも姑が行っていた。
ところが叔母の次男は、母親が来ている友達が羨ましく感じられ、最後の遠足の前日の晩に「明日はお母さん
と行きたい」と姑に訴えた。

幸い姑の了解を得られ次男は大喜びで母親に報告に来た。
しかし、野良仕事着だけで「お出かけ用の服」が無く困ってしまった母に次男は「エプロンを外していつもより
少しいいもの着ればいいんじゃないの」と無邪気に話していた。


(朝食後も話しは続いた)

遠足当日の朝、未だ店が開いていない時間帯にも関わらず夫が何処からかブラウスを買って来てくれた。
その真新しいブラウスを来て我が子との初めての遠足にようやく行くことができた。

叔母は50年以上経た今もその「思い出のブラウス」を大切にしまっている。
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