非効率な少量多品種栽培に拘っているのは「自給自足を基本とする」という気持ちの現われでもある。
その基本からすれば「自家用で消費し切れない分を産直に出荷する」のが建て前となるはずだが、ややもすると本末が転倒して「販売優先」になり勝ち。
その最たる例が鶏卵。
今年の雛が卵を産み出す6月末までは出荷量が需要に追いつかない面もあって、ついつい自家消費を後回しにしてしまっている。
しかし、その結果として「安い鶏卵を売って高価な肉や魚を購入する」という「漫画の世界」が出来上がってしまった。

(雨の中の椿。既に大半の花は盛りを過ぎている。)
「売上額を少しでも上乗せしたい」という焦りにも似た気持ちが無意識の内に働くのは、長年営業で苦労した「サラリーマン時代の後遺症」なのかも知れない。
その基本からすれば「自家用で消費し切れない分を産直に出荷する」のが建て前となるはずだが、ややもすると本末が転倒して「販売優先」になり勝ち。
その最たる例が鶏卵。
今年の雛が卵を産み出す6月末までは出荷量が需要に追いつかない面もあって、ついつい自家消費を後回しにしてしまっている。
しかし、その結果として「安い鶏卵を売って高価な肉や魚を購入する」という「漫画の世界」が出来上がってしまった。

(雨の中の椿。既に大半の花は盛りを過ぎている。)
「売上額を少しでも上乗せしたい」という焦りにも似た気持ちが無意識の内に働くのは、長年営業で苦労した「サラリーマン時代の後遺症」なのかも知れない。