魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

母娘相似

2016年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、見合結婚が一般的だった頃は、娘より母親を見よといわれた。
若いときは誰でも魅力的だが、年を取ると差が出てくる。そして、不思議というか当然というか、娘が年を取ると母親そっくりになる。
その姿がどうあって欲しいか、人の好みは様々だが、とにかく母親の姿が娘の未来だといわれた。

しかし、この定説は間違いだと思う。母娘と言えども、体型からして全く違う場合もあり、生い立ち環境によって、性格、価値観まで異なる。
父方の遺伝を受けたり、姉妹関係のどの立場であったかによっても大きく異なるし、生活状況も同じではない。

おそらく、こういう通説が成り立ったのは、安定した封建時代ゆえに、安定した家族同士が見合いをしていた事で、一定程度の同質性が見られたからではなかろうか。
今日のように、家の継続性が失われた時代には、成立しない話しだ。

封建時代の結婚といっても、見合結婚は明治以降の話しで、それ以前の、親が勝手に決める許嫁(いいなづけ)結婚時代より、むしろ、革命的に民主的だった。何しろ、一応、男女両者が顔を合わせ、選べることが前提になっている。
とはいえ、見合結婚は、許嫁結婚の家同士の結婚から進歩したものだから、やはり基本は家同士の結婚で、そこに、本人の最低限の拒否権が認められたに過ぎない。

見合結婚が普通だった頃は、恋愛結婚はタブーだったので、許嫁結婚同様、責任ある立場の者は、若い男女を積極的に紹介してやらなければならない。だから、上司や先輩は、常に心がけて、若い男女を物色していた。
そうして、仲人となり、結婚生活にも口を入れたりアドバイスをしたりする責任を負っていた。仲人をする事で、結果的に指導者となり、社会的立場もできていったので、なおさら、お節介が増えていた。

こういうお節介が存在しない現代では、恋愛しか結婚のチャンスがない。恋愛ができなくても結婚はしたいという人は、儲け主義の紹介業者に頼るしかない。
つまり、少子化の背景は、自由恋愛時代にあるわけだ。社会的な強制力が働いた時代は、しぶしぶでも結婚したので、子供はどんどん生まれた。

では、自由恋愛をタブーにすべきなのだろうか。冗談ではない。
恋愛で男女が出会う時代に、家制度の名残である、婚姻を前提の出産環境のままである事が、決定的な障害になっているのだ。子供は両親で育てるものである事ばかり強制しているが、社会で育てる前提が、全く欠落している。

赤ちゃんポストが生まれたとき、安倍総理は、親の責任放棄はケシカランと言った。
育児休暇を取ると言った国会議員ではないが、一見もっともに聞こえる、響きの良い言葉だ。だが、子供の養育は、第一義的に少子化を止めようとする国家にこそあるのではなかろうか。
もっとも、少子化にそったビジョンを持つ国家なら、また別の話しだ。

ところで、娘が母のようになる必然はないが、近頃の母は、娘に負けまいと同じような格好をしているから、娘が母のようになると、言えなくもないのかも知れない ???