5月3日の今日は憲法記念日だが、これは施工日で、憲法発布となる公布日は前年11月3日の文化の日で、明治天皇の誕生日にあたる。ちなみに、明治憲法の発布は今の建国記念日だ。
明治天皇はサソリ座で、昭和天皇はその表裏の牡牛座だったわけで、明治憲法と昭和憲法も、浅からぬ因縁がありそうだ。
今日の改憲論議も、言葉使いや9条の問題より、おそらくは根底に、明治憲法への郷愁があるのではなかろうか。
改憲論者の多くは、明治憲法の装置として生まれた靖国神社を、国柄の文化と考えるようだ。
その明治憲法は、1889年から1947年の昭和新憲法までの58年間、一度も改正されることなく続いた、昭和憲法はすでに70年間、一度も改正されることなく続いている。
この事実を、だから改正しなければならないと考えるか、だから維持しなければならないと考えるか。
同じ事実をどう見るかは、立ち位置によって全く逆にさえなる。
ただ、もう一つ確かなのは、明治憲法は敗戦という破綻=事故死によって終わった事実だ。しかし、これさえも、日本は敗戦していないという人もいる。
一方で、平和憲法さえ護れば、誰にも蹂躙されないと信じている人達もいる。
具体的に何をどうすれば、戦争を無くせるかという説法は、一向に聞こえない。
仏教を布教した僧は、全国を回り、病を治し、井戸を掘り、堤を設け、橋を架けた。人は具体的な効果を見て納得する。
お経も異国から来た異国の言葉だが、内容を理解し実践するなら意味がある。
平和憲法を信じる人達は、憲法を写経し読経してはどうだろう。きっと平和の御利益があるに違いない。