魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

改革断行

2016年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

安倍政権はよく頑張ったと思う。しかし、残念ながら、裏目に入ってしまった。
最初のうち世界は、新しいことをやる日本に期待して、円安も大目に見て待っていた。マネーは、日本サプライズのアベノミクスに便乗した。
しかし、待てど暮らせど、構造改革や発展政策が出てこない。口だけは色々言うが、日本の社会構造まで変わるような、大ナタは、影も形も無い。

一白政権は、みんなが喜ぶような調子の良いことを言うから、始めはワッと盛り上がる。しかし、酒席で盛り上がるような空騒ぎだから、一向に実体が現れない。それどころか、その盛り上がりに便乗する、タダ酒飲みがワッと群がって、会場をグチャグチャにしてしまう。

田中内閣の日本列島改造論の後には、一極集中と地方荒廃が生まれ、中曽根内閣のプラザ合意の後には、バブル崩壊が起こった。
金融一辺倒のアベノミクスは、抜本的な構造改革がなければ、バブル以上の大崩壊につながる。もう、時間はない。

政治が経済にできることは、社会にやる気を出させることだ。規制緩和をして手足の枷を外せば、みんな勝手に動き出す。手足を縛ったまま、金をばらまいたり、一杯飲ませて良い気分にさせても、一時の空騒ぎで終わってしまう。

「一億総括役社会」、名前は悪いが、目的は悪くない。問題は、一朝一夕には行かないことをやるには、モラトリアムが必要だが、金融政策はもう限界だ。
残された景気づけ策は、もう、消費税停止しかない。10%上げ中止は、既に公然の事実で何の意味もない。一か八か、10年の消費税停止だ。

この間に、農地解放に匹敵するぐらいの農業改革や、学制、育児、婚姻などの改革をはからなければならない。
現在の労働力不足や、保育、少子化の問題の根は一つだ。
男が稼いで女が家事をする、古い概念を改めずに、新時代に対応できるわけがない。すべてに滞りが起きている。

このブログで繰り返し主張する、母系社会とまでは言わない。
最低限、嫡子と婚外子の区別は改め、「子は国の宝」ではないが、社会の子の概念を育てるべきだろう。フランスの少子化対策は既に未来社会のあり方を証明している。「できちゃった婚」の「婚」は要らない。「できちゃった」で良いのだ。
婚姻制度の「規制緩和」は単に、少子化対策だけに止まらず、社会、経済に大きなダイナミズムを生むことになる。

しかし、庚午年籍、太閤検地に匹敵するような大改革を、ムードメーカーにできるわけがない。結局は、黒船や進駐軍に期待しての、アメリカ詣が関の山だが、トランプ政権になれば、それ位のインパクトはあるかも知れない。