魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

だんご箱 2

2016年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

「ダンゴ箱」の日本企業だが、中身は美味しいダンゴで一杯だ。
そんなダンゴ箱の周りでは、蟻やネズミが常に狙っている。

「ものづくり」に打ち込んでいる日本企業は、商売を知らない職人だ。
一方で、商売のできない職人を相手に、口八丁手八丁で、職人から仕入れて売りさばくのは、問屋である商売人だ。

ネット時代で、過去のビジネスモデルである問屋業は斜陽になっている。しかし、中韓のような商売人は、日本から核心部品を仕入れて、自社ブランドの箱に入れて売る。
中韓を日本の下請けだとなめている間に、日本の衰退が始まった。商売人の中韓は職人の下請けをしていたのではない。実際は、問屋をしていたわけだ。しかも、大々的に。

農業や工業の、物を造る人間は、自分では売ってやっているつもりだが、最終的に売る力を持ち、あちこちの仕入れ先を握っている問屋は、職人や農家が売らないと言えば、適当に別の仕入れ先を探してくるから、一向に困らない。
製造側は「あんな質の悪い物が売れるわけがない」と信じているが、それを売りさばくのが商売人だ。

また、新しい技術を編み出した職人が高飛車で、思惑に従わなければ、他の職人を養成して、作らせることができる。さらに、利益率を考えて、自社生産を始める。
オレしか作れないだろうと思うのは、職人のナルシズムだ。似たようなものなら幾らでも作れる。後は、客が納得すれば良いだけだから、手八丁口八丁の世界になる。

結局、製造者は、問屋に卸し始めたときから、支配権を握られる運命にある。
実際、中国の売れ行きが悪くなって、たちまち困るのは、職人の製造国だ。買ってくれる問屋に、嫌なことを言われたり、いじめられたとしても、簡単に拒否できなくなる。
売り手より買い手が強い例として面白いのは、中国がレアアースの販売を拒否して、困ったのは中国自身だった。

問屋が製造販売の実権を握っていた時代には、問屋が専売する条件を付け、製造者が直売できなかった。これは、問屋に依存することで条件を呑まされるからだ。
しかし、始めから、問屋に頼らなければ、商売人に大きな顔をされることはない。製造者が直売すれば、困るのは問屋だ。

おだてと目先の金で、核心部品を仲介者に提供するのは、欲に目が眩んだ近視眼だ。
職人として生きるなら、最後まで職人を貫く方が、結局は得策だ。
造った物は、欲しい人に直接売る。独りよがりの芸術家ではなく、発注者に応える職人になる覚悟だ。ニーズを探り、そこに新提案をするのが、最高の職人だ。
客に、「こんなのが欲しかった!」と言わせて、ほくそ笑むのが本当の職人だ。
日本企業は、もう一度、本当の職人に帰れるだろうか。
シャープや三菱自の社長のような、死んだ魚の目を見ると不安になる。