魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

同居人達

2016年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

シャワーをしようとしたら、小さな家グモがいた。急に明るくなったので驚いたようだが、逃げ場もないと思ったのか、身をすくめてじっとしている。

かまわずシャワーを始め、上段にシャワ-ヘッドを掛けると、ツ、ツ、ツと、ヘッド下のホースの陰に移動した。シャワーを浴びながら見ると、ホースの陰でじっとしている。
向こうからはどう見えているのか知らないが、こちらの動く影が見えないところに、微妙に移動を繰り返しながら、見事にホースの裏に隠れている。

いることはわかっているが、構わず、シャワーを続けて、終わったので、ヘッドを下段に掛けると、どこにも隠れるところがなくなった。
しばらくじっとした後、また、ツ、ツ、ツと、下段に近づいた、が、
『このまま行っても、また動いてしまうかも知れない』、そう思ったのだろうか、手前で止まって、動かなくなってしまった。ピクリとも動かない。壁になっているつもりらしい。観音隠れの術だ。
早く暗くしてやろうと思って、そのまま出た。

クモは、見かけで損をしているが、毒グモでなければ、有益な奴だ。
ただ、どこにでも巣を張るから、一日家を空けただけでもびっしり張っている事がある。帰ってきて、玄関先で顔面に巻き付いたりすると、メチャメチャ腹が立つ。
それでも、駆除する気にはなれない。ギリシャ神話でも、クモにされた機織りのアラクネーには同情的だ。

まして、巣を張らない小さな家グモは、本当にありがたい存在だ。じっくり観察してみると、可愛くて憎めない。巣は張らないが、糸一本でスーッと降りてくることがある。
忍者の術は、相当、蜘蛛や昆虫の生態から学んでいるようだ。現代ではロボット工学などの技術に取り入れられている。

最近の子供は、と言うより、日本社会全体が、昆虫離れしていてノートの表紙の昆虫写真さえ、クレームで載せられなくなったそうだ。終いには幼稚園まで建てられない。
何でもかんでも除菌、除菌、花粉、花粉と言っているうちに、互いが駆除し合う社会になってしまった。


P.S.
これを上げた翌日、ダーウィンが来たで、孔雀グモの話をしていた。まさにこの家グモと同類だが、ハエグモと言っていたので、それが正式の呼び名なのかも知れない。