魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

他言語脳

2016年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、ケンミンショーで津軽弁を紹介していた。昔若い頃、寝台特急「日本海」で青森から乗った女性四人グループが、一晩中楽しそうに話をしていたので、横で、懸命に聞いていたが、遂に、全く理解できなかった。
時々単語だけがわかる外国語を聞いているようだった。

同じ事は、沖縄の離島から来た、おばあのグループの会話もそうだったが、これは、比較的最近なので、日本語の古語と漢語の変形と理解しながら聞くと、多少理解できた。
津軽弁も、やはり、古語を意識しながら聞くと多少解るような気がする。

それにしても、日本に残る、方言が消えかかっている事は極めて残念な事だが、津軽には今も元気の良い津軽弁が息づいている事に感動し、嬉しくなった。
これに比べると、沖縄はかなり危ないような気がする。民謡歌手でも、習わなければ古い島言葉が理解できないと聞いた。

津軽と沖縄の差は、おそらく、東京との距離にあるのだろう。
学校で標準語に直すのはどちらも厳しく行われたようだが、東京に近かった津軽の方が標準語に接する機会が多く、比較的簡単に標準語のような話し方ができたので、学校以外での現地語との峻別がなかった。

一方、沖縄の場合は、東京との距離が遠く、頑張って標準語を身につけなければならない意識が働いたようだ。島ごとに方言も違ったので、標準語は便利だった側面もあるのだろう。また、琉球処分による葛藤も関係したと思う。
沖縄での標準語教育は、罰則を設けるなど、過剰に徹底していて、その結果、ウチナーグチに対する差別感覚が生まれたのではなかろうか。
この点、津軽人は東京に出たときだけ、上手く話せないコンプレックスから無口になったが、津軽弁そのものに対しては卑下する事は無かったのかもしれない。

ただ、いずれにせよ重要な事は、まだ両方とも命脈を保っているので、今から改めて、地元での使用を強化し、ヨーロッパでの言語別けのように、地元の国語として、津軽語、沖縄語などの教科を作れないものだろうか。
今更、わざわざバベルの塔を造る事はないようにも思えるだろうが、バイリンガルになれば、他言語学習が容易な脳になる。方言を話す人間は、他の方言の理解が早い。それだけ実用的な外国語の吸収が早くなるし、異文化に対する柔軟性が生まれる。

日本人の英語下手は、受験英語、つまり、すべて標準語化するような融通の利かない合理一辺倒が根本原因だ。戦時中、占領した国で日本が真っ先に始めたのは、皇国史観と日本語教育だった。今日の家電を始めとする日本企業の失敗も、一元化のゴリ押しによる。
違いを違いとして尊重する、江戸の幕藩合衆国を捨てて、日本東京主義を進めた、明治政府の負の遺産を、いまだに引きずっている。その上また、そこに戻そうとする力が強まっているようだ。