魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

名前を変えれば運が変わる?

2006年10月09日 | 占いばなし

「改名による開運」は漢字文化圏の人にはわかりやすい。
しかし、運命をまじめに考えると、名前より前に実体、宇宙を司る運命の実体があるはずで、個人の運など末節であり、大樹の一葉にもならない。
だとすれば、名前が運命を変えるのではなく、運命が名前を変えることになる。栗の木に勝手に桃は付けられないということだ。

運命に名前がしたがうなら、「運は変わったけど、ずっと同じ名前だぜ」と言う意見が出ることもある。もとよりそうなるべき名前の場合もあるが、実はたいていの場合、名前は変わっている。
よく考えてみれば、あだ名はもとより、店長、係長、課長、社長、大統領に至るまで、運命による呼称の変化ではないか。言うまでもないが、大統領と自称しても大統領になれるわけではない。

名前で占う姓名判断は、姓名という衣装でその人の本質を推理する方法で、衣装と本人が常に一致しているとは限らない。名前負けというのもある。

開運のため改名しても、運の実体が伴わない名前は結局は身に付かない。
じゃあ、名付けは意味がないかと言えば、そうでもない。
その子の運命とかけ離れた名前を付けようとしても、結局、色々な経緯で付けられなかったりするものだが、その子の運命の範囲内でのバリエーションは可能だ。

実際、同じ時に生まれた別人の名前が同じとは限らないが、占い的には不思議に一致している。
つまり、持って生まれた運を、枠の範囲内で改良する名前は可能なので、あらかじめ生来の運を推し量り、それを活かせる良い名前を付けるということは理にかなっている。
よく似た顔でも、微妙な違いで雲泥の差になることがある。顔立ちは変えられないが、顔つきは変えられるということだ。


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