魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

日本開拓

2023年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

2~30年前のグルメ番組で、60代女性に好きな食べ物をたずねると、決まって「私たち、何でもいただきます」という答が返ってきて、制作関係者が困っていた。
戦中、戦後の食糧難時代に育った世代は、食べられるだけで嬉しかった。
バブル時代から、グルメ番組が盛んになり、いかに希少で特別かと美食を煽り立て、一方で「賞味期限」が過ぎると店頭から商品が廃棄処分され、膨大な食品ロスが生まれた。

当時、牛丼屋でご飯を少なくしてくれと言うと、困惑した顔で「値段は同じですよ」と念を押された。食べられなければ残せば良いじゃないか、と思っていたらしい。
また、某和食チェーンのCMで、「残りを包んでください」というオバサンに店員が顔をしかめる下りがあった。オモシロ話のつもりなのだろうが、飽食の時代と言われた当時、世の中全体で、およそ食べ物に対する敬意が失われていた。
そんな時代に流行った「グルメ番組」とは、まさに「バチ当たり」番組であって、テレビは人心を「薬漬け」にして荒廃させる、外道の売人だった。

近年、SDGsでようやく食品ロス問題が注目されるようになった。
戦時中戦争を煽ったマスコミが、敗戦のその日から戦争批判を始めたように、近頃は、SDGsが、食品ロスが、ともっともらしく吹聴しているが、一方で、未だにグルメ番組を流している。
コロナネタが飽きられると、家畜飼料が、食料が、卵代がと、新ネタの叩き売りを始める。円安で値上がりした食品は、豊食を煽り、外国飼料で美味い安いを充満させた結果だろう。肉を食べられさえすれば良いのなら、日本中に雑草が生い茂っている。

温故知新
何でも昔を懐かしむ年寄りだから言うのではない。食料、家、生活、社会インフラ・・・今の混乱を原点から見直す上で、何も無かった、高度成長期以前を振り返ってみるべきだろう。今、大変なことになると心配していることは皆、高度成長期後の特殊な状態が失われることだ。
不必要なものを前提にそれが無くなることを心配すれば、心から卑しくなっていく。

卵も砂糖も贈答品の代表で、牛乳やバターは贅沢の象徴だった。今やスーパーの片隅で見向きもされないスコッチは、名前を聞いただけで畏れ入った。
牛肉のすき焼きなど、本当に特殊な世界の話で、庶民の贅沢は、今流行のジビエで、誰かが獲ってきたウサギや山鳥の鍋だった。卵や鶏肉のために、少しの土地があれば、ニワトリを飼っていたので、朝になると、本当に一番鶏がコケコッコーと鳴く声が聞こえた。

老朽化で修理や取り壊しに悩む、小さな橋のほとんどが、村の人が総出で架けた丸木橋で、大きな川には渡し船も至る所にあった。材木の切り出しも、鉄道やトラックの入れる道も少なかったから、木馬道や筏が主流で、非常に危険な仕事だったが、古来よりの木材搬出ルートが確保され、森林が資源確保の場として生きていた。

今更、昔の日本に帰れというのではない。今の状態を前提に心配や不満を言うより、原点は何かを見つめ直して、新しいあり方を創造すれば、日本には無限の可能性がある。
ジビエや地方移住を流行のノリでするのではなく、日本人が、人間がどう暮らしてきたかを考えた上で、日本のニューフロンティアの開拓者になってほしい。
日本の実体は、枯れた虚飾に覆われた荒野だ。Boys be Ambitious


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