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福島&宮城の旅2024【会津若松・福西本店&さざえ堂他】

2024-04-03 | 福島&宮城タイル旅2024
会津若松の町歩きの続き、、
300年の歴史のある会津若松の大商人、福西家。
約100年前に建てられた黒漆喰の三棟の蔵と商家建築の残る福西本店へやってきた。


店蔵は、お土産物店になっていて、奥の建物が有料で見れるというので見て行くことに。


こちらは、母屋の本来の玄関。
元々は、土間であったところ、後ほど床を嵩上げしたとのこと。



玄関ホールに置かれているのは、ちょうど翌日行く予定にしてた天鏡閣から賜られたという逸品の洋机。細部の彫刻も細やか。


立派な赤松の梁が通る母屋の玄関ホール。


母屋蔵は、現在は半分を吹き抜けに改装して、ギャラリーとして活用されている。



何重にも重なる扉の向こうは、座敷蔵。


お客様をもてなす三十畳の座敷が広がり、


床の間の床柱、床框などには、孔雀杢といわれる模様の入った高価な黒柿がふんだんに使用されているのだそう。


書院周りの木材も黒柿。


釘隠しは、桜の花の形をしているが、分銅が5つ集まった桜分銅といわれるもの。


障子の引手も分銅を模したものだった。中には鶴が描かれている。


引手の中の鶴のデザインは、3パターンもあった。





障子を開ける(案内の方が)と出てきた金庫は、今まで見たことがないくらい緻密な装飾が入ったもの。



蔵の壁が剥き出しにならないように、壁面はダミーの障子が入れられてるが、
開けるとすぐ壁だったりする。


中庭越しに仏間蔵
外は吹雪の勢いが増していた。




竹の細工が軽やかで素敵な欄間。




床の間の床柱から落とし掛け、天袋の扉の周囲に至るまで竹尽くしでまとめられていた。





母屋2階の大広間。
欄間は、梅の透かし彫りや、


鳳凰の透かし彫りが圧巻。











美しい家具、調度品もいくつかあり、、寄木細工の飾り棚が最高に細かくて美しかった〜パリ万博の出展品との伝承あり。


小振りな飾り棚に、これでもかというくらいに緻密な寄木細工が施されていてついつい見入ってしまった。








そしてお茶室。






各部屋の書画は、鳥や犬など動植物が描かれている可愛いものが多くて好みだった。










細工が細か過ぎる螺鈿の飾り棚。






爬虫類系の生き物を模したようなものが台を支える優雅な曲線がアール・ヌーヴォーっぽい飾り棚も。


有料ゾーンを拝見して、店蔵へ戻ってきた。
店蔵の2階へも上がる階段があったので見せてもらう。


洋風の階段を上がると、手前には和室が




奥は洋室となっていて、接客に使用されていたよう。



洋室の天井は、ティンパネルのようだった。

外が吹雪の間に、思いの外充実した見学ができてよかった。
しかし、時間は押してきてる上に外は猛吹雪。
お店の方に心配されたが、「今からいくつか建物見た後、さざえ堂とソースかつ丼を食べるミッションをクリアして、喜多方へ向かう〇〇時の電車に乗らなければならない」と話すと、
「それは厳しい、タクシーを呼びましょうか?」と言われるも、他の寄りたい建物あるし、バスがあるのにタクシーは、ちょっと、、と思ってると、願いが通じたかのように、ぱあっと外が明るくなって、青空が見え出した。
お店の方に、すごい!と驚かれながら、
今がチャンスと慌てて外へ飛び出し、建物巡りの続きに繰り出した。


昭和10年建築の旧黒河内内科医院。
現在は、コワーキングや定住、移住相談などができる「会津若松市定住コネクトスペース」として活用されている。




内部は改装されつつ受付窓口や階段、ステンドグラスも?残されていた。








外観も素敵な医院建築だったので、内部は改装されながらも
このように活用されているのはうれしいなあ。


明治44年に建てられた日本基督教団 若松栄町教会。
建物は平成13年に改修されている。
こちらは外観の見学のみ。



この後、さざえ堂へ。


ほんとなら、レンタサイクル借りて、さざえ堂他、行くつもりだったが、
雪だけでなく暴風がとんでもなく、危険を感じてバスに乗る。
一瞬止んだかと思った雪が、さざえ堂に着く頃には、狂ったように吹き荒れていてロクに建物も見えないほど。
東北の冬、すさまじい・・
3月だからもう大丈夫かな?と思ったのだけど、甘く見ていた。


会津さざえ堂は、寛政8年(1796年)に建てられた六角三層の仏堂。



世界でも珍しい建築様式、二重らせんスロープの木造建築。
上りと下りが別の通路になっていて、すれ違うことがないという不思議な構造に。


阿弥陀仏を本尊として、かつては西国三十三観音像が安置され、こちらで巡礼ができるということで
当時の人々に重宝されていたそう。


最上階に到達。
最上階の天井は、建築当時の参拝者による千社札がびっしり貼られていた。
ここからまた反対側に、螺旋状に下っていく。上がってくる人の声はすれども、姿は見えないという不思議な感じ。


さざえ堂から駅前まで、これまたいい時間にバスがない。
待っていたら、予定してた喜多方行きの電車に乗れないので、徒歩で向かった。
ちょうどその頃、奇跡的に吹雪も止んだ。
そして、もう一つのミッション?だったソースカツ丼、駅前のまるも食堂でありつけた。
丼からはみ出す勢いのあるカツ、ソースの味も美味しかった。



食堂の御手洗いの玉石タイル。


無事、電車に乗れて喜多方へ。



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