![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f1/703b12caf5a7bf86e13d45713ea1de53.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/eb/ca61a8bfd2043abb16979c740b677717.jpg)
お昼ごはんの後は生野銀山へやってきた。
中世以来、日本有数の銀山として発展、明治には日本初の官営鉱山となった。
昭和48年に閉山し、現在坑道の一部が公開されている。
現在エントランスとなっている菊のご門柱は明治9年に生野製鉱所が完成し、その正門としてフランス人技師のコワニエにより
築造されていたもの。
現在観光坑道の入り口となっている金香瀬坑は江戸時代から採掘されていて、
明治初期に正門と同じくコワニエによって石造りのフランス様式で造られた。
坑内へ入ったとたんひんやりした空気に包まれる。
坑内の気温は年間を通じて13度だそうで、半袖ではかなり寒く感じる。
坑内作業の様子をあちこちで生々しくマネキンが再現している。
江戸時代の採掘の様子。
近代の採掘
爆発物を仕掛けるマネキン。
鉱脈を深く掘り進んだ跡も見られた。
土留めもいろいろあって、こんな馬蹄型のものから丸太を組んだものなども。
近代の採掘で用いられた巨大な巻揚げ機とエレベーターも残されている。
出口へ。
約1kmの観光坑道を楽しんだ。
神子畑鉱山で選鉱された鉱石を生野の精錬所へ運ぶためにトロッコ専用道が整備され、
その時に架けられた5本の橋のうちのひとつ、神子畑鋳鉄橋。
明治18年に架けられ、日本最古の鋳鉄橋で鉄橋としても日本で三番目の古さを誇っている。
国重要文化財。
河原に下りて水遊びタイム・・
三連休の一日、ちょっと遠出。
兵庫県朝来市の天空の城、竹田城と生野銀山へ行こうと思ってやってきたけど、
竹田城に着く直前に問い合わせてみたら車で行くルートの駐車場はもうすでに満杯で
片道40分歩くルートをすすめられ、子供たちが歩くのイヤと言ったので竹田城はカットすることに;
生野銀山方面へ向かった。
その途中に立ち寄ったのは、神子畑選鉱場跡&ムーセ旧居。
神子畑選鉱場跡は明治11年から生野銀山の支山として稼働、大正6年で閉山した後、
明延鉱山で採鉱された鉱石の選鉱場となった。
最盛期には東洋一の規模を誇っていたのだそう。
選鉱場の傾斜面には物や人の移動が行われていたインクラインが残されている。
この円形の巨大な装置はシックナーと呼ばれるもの。
巨大な円はすり鉢状の水槽になっていて、回転させながら液体を除いて固体物を取り出す
非ろ過分離装置となっている。
脱水した後の不要物は坑道の足場などに再利用されたのだそう。
建屋が解体される前の神子畑選鉱場。
すぐそばに生野銀山開発に貢献したフランス人技師、ムーセの元住居が移築されている。
明治20年に移築されたもので事務舎として利用されていた。
現在、資料館となっている。
一円電車と呼ばれる、従業員やその家族の交通手段として使われていたもの。
貨物用トロッコと同じくらいの大きさだったため、車内は向かい合う人が座って膝が当たるくらいの
狭さだったという。