m's diary

タイル巡り♡タイル制作♡建築巡り♡町歩き

大山崎山荘美術館他

2017-04-30 | 建築巡り・街歩き【京都】

聴竹居を見学に大山崎まで来たので、せっかくなので大山崎山荘美術館へも立ち寄った。

大山崎山荘は関西の実業家であった加賀正太郎氏が別荘として、大正から昭和初期にかけ建設したもので、

現在は創建当時の姿に修復され、美術館となっている。

 

 

加賀氏がイギリスを訪れた際に見た炭鉱夫の家に想を得たものだそうで、

イギリスのチューダーゴシック様式で建てられた。

 

 

以前は館内は展示物以外は撮影可だったが、現在は不可になってて残念;

梁がむき出しの玄関ホールは山荘のような雰囲気で暖炉を囲むイングルヌックが素敵。

深いブルーのタイルが貼られた暖炉が美しい~

タイル貼りのバスルームの特注品のタイルの美しさは改めて圧巻!!

10年前に訪れた時の旅行記はこちら→☆

 

 

玄関ドアの文様

 

 

テラスから池を眺める。

右手の建物はかつての温室へつながる通路。

 

 

テラスに取り付けられてた外灯。

門柱のとも似てるがちょっと違うデザイン

 

 

テラスから山側に見える塔屋は「白雲楼」と呼ばれて、

ここから加賀正太郎が工事の指揮をしたといわれている。

 

 

二階の喫茶室となってるテラスからの眺め

 

 

新緑が美しい~

 

 

本館以外にも敷地内の5つの建物が国の有形文化財になっていて、

そのうちの一つ、橡ノ木茶屋。

ここから見ると平屋建ての建物だけど、

 

 

庭園への階段を下りていくと、斜面に建つ橡ノ木茶屋のコンクリート造りの石貼の地階があった。

 

 

庭園の緑が鮮やか

 

 

庭園から山荘を見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは敷地内にあるレストハウスで旧車庫の建物。

 

 

帰りに立ち寄った古民家カフェ、ハーミットグリーンカフェ。

 

 

ここでゆっくりお茶して帰った。

 

 

 

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聴竹居見学

2017-04-29 | 建築巡り・街歩き【京都】

5月に建築友達と藤井厚二設計の八木邸へ行く予定で、もうすでに皆は行ってる同じく藤井厚二設計の

聴竹居へ友人Tちゃんを誘って行ってきた。

聴竹居は現在は竹中工務店所有のもので、完全予約制になっていて、室内の写真撮影も誓約書がいるなど厳重。

ボランティアガイドさんによる詳しい解説の下、見学させていただき、

室内は驚きと感動の連続の空間だったがネットには載せられず、

しかし外観はOKとのことなので、外観のみの写真を載せることにした。

 

 

大山崎の天王山の麓の高台に昭和3年、藤井厚二設計により建てられた聴竹居は、

藤井厚二の5軒目であり最後の実験住宅。

 

 

今までの住宅にありがちだったお客優先の住宅から住民の過ごしやすさを重視し、洋風と和風の折衷でより快適に、

そして趣味嗜好を生かし、心豊かに暮らせる住まいを目指し、この大山崎の12000坪の敷地内に実験住宅を5軒も建て、

その集大成として建てられたものが聴竹居だという。

 

 

この庭に面して張り出したサンルームは

目の前の景色を取り込むために隅柱をなくし、柱の形状に工夫をするなど、

室内から見た時は目の前に広がる新緑の木々のパノラマがすばらしく、うっとりするような空間だった。

夏に過ごしやすく、日本の気候風土に適したものをということで、空気の流れを考えた床下換気口、屋根裏の通気口などが

設けられ、庇の角度を決めるためにもう1軒仮設住宅を建て、季節を変え、一日の日照状態を観察し、

綿密な調査の結果ベストな屋根、庇の角度が決められたという。

 

 

室内はオール電化、床はバリアフリーに、そして天井の高さも2m基準だそうでとても高くゆったりとしている。

室内の全ての家具は造り付け、調度品とも藤井厚二デザインのもので、

部屋の中に完璧にしっくりと収まっていて、実用性とデザインの美しさ共に兼ね備え

細かいところまで神経が行き届いたものだった。

サンルームに置かれていた暖房用の電熱器などは丸いフォルムが茶釜のようで、

青海波の透かし彫りに、上部には魚の浮彫が施され、とても可愛いデザイン!

 

 

子供たちの勉強部屋兼書斎は可愛く並んだ子供たち二つの机には棚や引き出しがたくさんついていて

コンパクトながら収納力大で、目の前の障子を開け閉めすることでサンルーム越しの緑が目に飛び込んでくる。

居間から食堂への入口はコーナー部分を半円に切り取ったような斬新なデザイン。

間仕切りはあえてなくし居間とのつながりを持たせ、調理室からは配膳口を通じて配膳できるようになっていて、

機能面、動線なども考慮され、全く隙のない造りに。

 

 

応接間の応接セットは糸巻きをモチーフにしたテーブルの繊細な美しさ、

幾何学的デザインの照明類、マッキントッシュ風の時計など、すべてが洗練され調和を保っていた。

 

 

これは玄関脇の傘立て。

番傘用だそうだがシンプルで、乾かすための風通しも考えられている。

 

 

玄関の中と前に見覚えのある怪獣がいる~

と思ったらやはり伊藤忠太作のもので、プライベートゾーンとの結界に置かれ、

魔除けとしての役割を持つものだった。

 

 

こちらプライベートゾーンのお風呂の釜(お風呂だけは電気でなく釜炊きだったそう)

 

 

こちらは台所からのダストシュートの取り出し口

 

 

その奥にあった建物。

あの建物は?と尋ねると、書斎兼お客を迎えるための離れだそう。

ここは今後整備され、公開される予定だそうだが、現在非公開。

ガイドさんによると、ここまで凝るか?というくらい相当凝った造りになってるらしい。

あーー見たい!

 

 

更に少し離れたところにあるお茶室。

こちらもかなり斬新な造りになっているそうで、今後整備後公開予定だとか。

ガイドさんの中には聴竹居の隣に住んでおられるという方もいて、子供の頃から実験住宅の3番目と4番目も

見たことがあると言われてた。

5番目が集大成だとしたら3,4番目は何かが足りない感じだったのか?お聞きしてみたら、それぞれに素晴らしかったそう。

 

藤井厚二の住宅に対する執念のようなものが家のあちらこちらから感じ取られ、見学会を楽しむことができた。

 

 

 

 

 

 

聴竹居: 藤井厚二の木造モダニズム建築 (コロナ・ブックス)
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木造モダニズム建築の傑作 聴竹居 発見と再生の22年
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多肉ポット用シェルフ製作

2017-04-28 | クラフト&木工

先日、陶芸で作品展用に作っていた、多肉ポット動物シリーズを並べるための棚を作った。

 

 

1×6材そのままの幅を使って、いつものごとくコーナンでカットだけしてもらって組み立て。

今回はちゃんとビスの頭を隠すためダボ埋めもした。

そして裏には同じくコーナンで手に入れたチキンネットという亀甲編みのネットをタッカーで取り付け。

チキンネットを一度使ってみたかったので満足~

 

 

そしてアクリルペイントで塗装した後、アンティークリキッドで汚れた感?を出して完成!

 

 

ちょうど親子猫たちも焼き上がってきたので、

 

 

全員整列させてみた。

動物の中に一人おっさんが混じってるけど。

また次回このポットたちに多肉を植えこんでみようっと。

 

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長崎の旅2017【聖フィリッポ教会他】

2017-04-26 | 長崎の旅2017

2日目の朝の早朝散歩で訪れてたけど、書き漏れてた聖フィリッポ教会。

昭和37年に今井兼次設計により建てられたもので、

モザイクタイルが散りばめられた双塔はまるでガウディのサグラダファミリアを彷彿とさせる。

コンクリート打ち放しの建物とは対照的な塔

 

 

 

 

 

塔に入れられた陶片は、豊臣秀吉のキリシタン迫害により、京都から長崎まで連行された26聖人の道のりを辿り、

各地から集められた陶片モザイクなのだそう。

 

 

茶碗やお皿がそのまま貼り付けられてるものも

 

 

早朝だったので聖堂内はまだ開いておらず、外から館内を眺めるのみ

ステンドグラス?のようなものが見える

 

 

 

 

 

十字架をモチーフにした窓

 

 

コンクリートの壁面に貼り付く十字架や窓など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖フィリッポ教会の向かいにある日本二十六聖人記念館もフィリッポ教会と同じく今井兼次設計。

 

 

こちらの壁面にも陶片が抽象画のようにデザインされ貼り巡らされている。

 

 

 

 

遠目で見るとよくわからないけど近寄って見ると和風な陶器類が多い

 

 

 

 

陶片に混ざってガラス片もカラフルできれい。

こちらの記念館も、まだ開館してなかったので、後で来れれば、と思ってたけど、時間が押して結局来れずじまいに。

 

 

そして外海の帰りに最後に立ち寄った長崎大学。

正門前にある明治36年に架設された石造りの拱橋。

 

 

大正8年に建てられた長崎大学瓊林会館は現在同窓会事務局として使用されている。

当初は研究館として建てられたもの。

 

 

明治40年に建てられた煉瓦造りの経済学部倉庫

 

 

これで長崎二日間の建築巡りの旅は終了。

いつもながらとっても充実した二日間だった。

 

 

 

 

 

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長崎の旅2017【丸尾石積群他】

2017-04-25 | 長崎の旅2017

池島からフェリーで戻った後は、神浦港の付近を少し散策。

あちこちに石積みの塀や階段などが見られた。

 

 

この小屋は木とトタンと石積みのツギハギ?!

 

 

薄目の石を並べた塀も

 

 

ふと路地を覗くと、猫が三匹。

 

 

なぜこんなところ??

瓦の上になぜかサボテンが増殖中?!

 

 

そして近くに丸尾石積群という、いたるところに石積が見られる地区があるというので行ってみた。

 

 

こちらは石で造ったトンネル型水路

 

 

石は結晶片岩というもので、西彼杵半島一円に点在する石積群の中でもこの地区の石積群は特に美しいといわれる。

 

 

こちらは石積みの小屋

 

 

すごい!

一面が石積みになってる小屋。

美しい~

 

 

 

 

 

この階段のある小道もものすごい

 

 

目の前に迫ってくるような石垣

よくも崩れずバランスを保ってるなあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで城壁のような石垣も。

石マニアのぷにょさんも大満足な石積群だった。

 

 

 

 

 

 

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武田五一の建築標本ー近代を語る材料とデザイン

2017-04-24 | 美術館・ギャラリー他

昨日はぷにょさんとGWの旅の打ち合わせをするついでにグランフロントのリクシルギャラリーでやってる

武田五一の建築標本展へやって来た。

建築標本とは何ぞや?と思いつつ来てみると、武田五一が収集した、建材や素材やサンプルなどが

様々取り揃えられていて、建築のディティールを見るのが好きな私はかなり食いついてしまった。

当時のヨーロッパの最先端のデザインを取り入れたドアノブや錠前などのサンプルは

今見てもとてもおしゃれで斬新で、ステンドグラスや型板ガラスのサンプルなどは

それ自体が美術品のように美しく、見ごたえがあった。

他にもタイルや大理石、セメント、テラコッタ、漆・・様々な素材の標本があり、

建物をひとつ設計するにはありとあらゆる素材の深い知識が必要なのだなあと改めて思い知った。

更に、面白いと思ったのは蝶の羽の配色分解。

建築学科の教授でもあった武田五一が、学生に蝶の羽の模様をスケッチさせ、各色の面積を測定したものを

正方形の配置図に変換させるという講義。

色彩を重要視した五一ならではのオリジナルな講義だったのかなあと興味深く思った。

又、伝統的な模様や天然物の写しによらずに人の頭で考案して、幾何学模様に応用するという

「マルホフ式図案」というのも初めて知った。

当時の建築の最先端の授業を武田五一先生から受けてみたかったなあと言うぷにょさんに同感!

1室だけの小さなギャラリーだったけど、思わず長居してしまって、

予約してたランチ場所に遅れそうになったので、慌てて撤退したのだった。

 

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長崎の旅2017【池島炭鉱跡その二】

2017-04-23 | 長崎の旅2017

行きのバスでそばを通って、気になっていた施設を見にやってきた。

この大掛かりな装置は石炭を使った石炭火力発電所で、昭和41年に設置されたものだそう。

 

 

この発電所には発電時のボイラーの蒸気を利用し、海水から真水をつくる装置がある。

日本で初めて設置されたものだとか。

 

 

この旧発電造水施設がただならぬ迫力で迫ってくる。

まるでハウルの動く城のような・・

 

 

錆びて、朽ち果てるがままに任せた施設が一層凄みを醸し出してた。

 

 

 

 

 

 

錆びフェチにはたまらん光景・・

 

 

フェリーターミナルの対岸は貯炭場、積込場として使われていたところで、

炭鉱稼働当時は多くの石炭輸送船でにぎわっていたという。

最も大きなこの機械はジブローダーといって、貯炭場に運ばれた石炭をベルトコンベアーに積み込む機械だそう。

 

 

貯炭場から斜面に沿って選炭工場、シックナーなどの建物や設備が並ぶ。

この辺りはさすがに立ち入り禁止区域のよう

   

 

 

  

ちょうど炭鉱内のツアーの参加者がトロッコに乗って帰ってきた。

 

 

これで島内を大体一通り回ることができた。

フェリーの本数はそれほどないので、予定してた帰りのフェリーで帰途についた。

池島炭鉱が閉山したのは平成13年だし、まだ住まわれている人々もおられるということで

廃墟施設が多数の中、風化途中の生々しさも残る貴重な産業遺産をじっくりと見ることができ、

興味深い体験をすることができた。

 

 

 

 

 

 

 

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長崎の旅2017【池島炭鉱跡その一】

2017-04-22 | 長崎の旅2017

外海の教会を巡った後は、池島へ渡り、炭鉱跡をまわることに。

神浦からフェリーに乗って池島へ。

 

 

第二の軍艦島と呼ばれる池島は九州で最後まで残った炭鉱の島で、昭和27年から平成13年まで操業を続けてきたそう。

島の人口は最大時の昭和45年で7776人を数え、出炭量は153トンに達していたという。

閉山はしたけれども、現在もまだ200人ほどの人々が島に住まわれているのだとか。

 

 

炭坑内のツアーもあったのだけど、今回は外海も回ったので時間もなく

島内も自由に歩き回りたかったので、ツアーはパスすることに。

まずはバスで終点までやってきた。

ここにはもう今は人は住んでいない8階建ての高層社宅が残されている。

 

 

8階建て社宅は昭和45年のピーク時には池島の人口は8000人近くまで増えたため、

狭い敷地の中で多くの従業員の住まいを確保するのに建てられたという池島ならではの炭鉱関連遺産。

 

 

8階建の社宅だけれどエレベーターはなく、代わりに地形の高低差を利用して

4階部分と5階部分に廊下と連絡橋を設置することで、

8階の住人は1階から8階まで上がらなくてもいいつくりになっているのだとか。

 

こんな蔦に絡まれた廃墟アパートも

 

 

こちらは池島小中学校。現在は生徒は2人。

ピーク時の昭和45年には小学校だけで1287人のマンモス校だったそう。

このグランドの広さもうなずける。

 

 

しばらく歩くと団地群も見えてきた。

 

 

この辺りの建物にももう住んでる人はいないようだ。

島内に巡らされてるパイプ、これは発電所の蒸気を主に浴場へ、

真水を施設や各家庭へと供給するための配管なのだとか。

 

 

 

 

今も営業している銭湯もあった。

銭湯マニアなぷにょさんは入りたそうにしてたが・・

 

 

見晴らしのいい高台から港の方へ下りる道には

 

 

飲み屋さんが軒を連ねる通りがある。

 

 

元はスナックらしき建物や元旅館なども・・

 

 

蔦が絡まるドア

 

 

 

 

 

ボロボロの廃墟が立ち並ぶ

 

 

 

旅館跡

 

 

下まで降りてくると、又ぽつぽつと建物が並ぶ通りがあったが

 

 

最近までやっていたような理容院には休業との張り紙が

 

 

喫茶店?白樺

 

 

ここは元パチンコ屋さんかなあ?

パチンコ台が積み重なって放置されてた。

 

 

 

シャッターも錆びつき、朽ち果ててこの通り。

じわじわと風化の一途を辿る町並みが見れた。

その二へ続く・・

 

 

  

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ヘレンド展

2017-04-21 | 美術館・ギャラリー他

先日、東洋陶磁美術館で開催中のヘレンド展へ行ってきた。

洋食器の中ではヘレンドのシノワズリなデザインが好きで興味があって

この日もそんなシノワズリデザインのものがたくさん見れるかなと期待してやってきた。

中盤ほどのコーナーに求めていたものがいくつかあって興奮した。

ポットのつまみや取っ手、注ぎ口、更にはトレイの脚部分にまで

立膝ついたり、三角座りしたりしてる中国人のおじさんが貼り付いてる。

それらがめちゃめちゃ可愛くて、滑稽なのだ。

精緻で繊細な絵付けの中にあって、ポツリとこのおじさんが醸し出す雰囲気がたまらない。

 

 

館内は撮影禁止だったので、昔ハンガリーへ旅した時に買った図録から写真を抜粋。

こんな感じ。

このおじさんは中国の高等官吏で、「マンダリン」と呼ばれてる。

 

 

こんな風に、トレイを支えてるマンダリンも。

 

もちろんヘレンドはシノワズリ柄だけでなく、正統派ヨーロッパ風のロココ調の華麗な絵付けのものから

精緻に描かれた写実的な風景画を配したもの、花や昆虫をリアルに描いたビクトリアパターンのもの

そして中国陶器や日本の柿右衛門や伊万里を模したもの、他多種多様なものが見れた。

必死に?真似をして描いたと思われる柿右衛門風の磁器を見ると

このころのヨーロッパへの日本の陶磁器の影響力は相当だったんだなあと伺いしれた。

ヘレンドで今も人気の「インドの華」シリーズも元々は柿右衛門の図柄を模したものだとか。

東洋のデザインをそのままでなく、やや西洋風にデフォルメされてるようなものも興味深いなあ。

いろいろと楽しめた展覧会だった。

 

 

その後は一緒に行ったNさんと西天満の方まで歩いて、「そら豆食堂」というところで

薬膳定食のランチを食べた。

この日の日替わりは豆腐のあんかけ唐揚げメインで、いろいろおかずがついて1000円。

玄米ご飯も美味しくて思わずお代わりしてしまった;

 

 

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長崎の旅2017【外海・教会巡りその二】

2017-04-19 | 長崎の旅2017

 

次に訪れたのは出津教会。

こちらの教会は予約が必要で、教会に到着するとガイドの方が待ってくださっていた。

出津教会は明治15年にド・ロ神父設計施工により私財を投じて建てられた。

  

木造平屋造で建てられた教会は強い海風に耐えうるよう屋根が低く抑えられているのだそう。

 

 

内部は撮影禁止だったのだけど、木のぬくもりが感じられる質素で堅牢な造りになっていて、

アーチ窓も中から見ると引き戸になっていたりと和風の要素が取り入れられていた。

 

 

ガイドの方はド・ロ神父がいかに外海の人々のために尽くしたのかということを語り聞かせてくださった。

 

 

出津教会は斜面に建つので後方はこんな石垣と石積の階段がある。

 

 

出津教会からはド・ロ神父も歩いたといわれるのどかな小径を歩いて、旧出津救助院へ向かった。

 

 

旧出津救助院もド・ロ神父によって住民を困窮から救うために創立されたもの。

 

 

入口入ってすぐの現在受付として使われている建物は旧薬局として使われていた。

 

  

こちらは明治16年に建てられた救助院の中でも中心となる授産場で

 

 

1階は作業場になっていて、綿織物の製糸から染色、素麺やパンの製造、醤油の醸造が行われていたという。

 

 

二階は修道女の生活場所として、又礼拝堂として使用されていた。

 

 

ド・ロ神父がフランスから取り寄せたという柱時計。

 

 

リードオルガンの一種であるというハルモニウムもフランス製の高級品でド・ロ神父が取り寄せたもの。

単音でも和音が出せる機能を持ち、毎日のミサで使用されていたという。

音を聞かせて頂いたけど、とてもきれいな音色。

 

 

マカロニ工場だった建物

マカロニは当時長崎にいた外国人に売られていたという。

 

 

 旧製粉工場

 

  

ド・ロ神父が考案したと言われる「ド・ロ壁」

自然石の石積の間に赤土に石灰と砂をこね合わせたものが入れられていて雨に強い丈夫なものだそう。

 

 

救助院の向かいにあるド・ロ神父記念館は明治18年にド・ロ神父設計により建てられた旧鰯網工場。

 

 

 

その後、向かったのは大野教会。

明治26年に大野地区の信徒のためにド・ロ神父が建てたもの。

 

 

こちらの教会は救助院でも見た「ド・ロ壁」で造られている。

 

 

入口はこの壁の向こう側に回り込んだところにある

 

 

  石積みの外壁はまるでヨーロッパの 片田舎にある教会のよう。

 

 

間に木造部分も

 

 

 

 

内部は立ち入り禁止になっていて、ガラス窓の外側から覗いてみると

とてもシンプルな造りになっていた。

 

 

そばにはマリア様の像。

 

 

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