大阪高島屋東別館の見学会へ行く前に付近の建築を少し巡った。
こちらは大阪松竹座。
大正12年に日本初の洋式劇場として建築されたものをファサードのみ保存をして建て替えられたもの。
ネオルネッサンス様式の巨大なアーチがとても印象的で、テラコッタ装飾が華やかにファサードを飾っていた。
アーチの内側にも細やかに施された装飾。
アーチの両脇には飾り壺のテラコッタ。
下から見上げた時、しゃちほこ?かと思った装飾、違ってた・・
正面玄関扉。
玄関の軒を支える照明付の柱。
精華小学校の入り口を探しながら商店街を歩いてて、思わず目が釘付けになってしまった建物。
柴長本店という酒屋さんの建物だそう。
看板といい、お店から醸し出される空気が濃厚で・・思わずふらふらと入って行きそうになった。
そして昭和4年に建築された旧精華小学校。
こんな繁華街のど真ん中に小学校があったなんて・・とちょっとびっくり。
閉校となった現在は、大阪市の生涯学習センターと精華小劇場として活用されている。
運動場の方の正門は閉ざされていて、商店街の中にあってとても分かりにくい門から中へ。
生涯学習センターというような公共の施設として使われてるくらいだから、
見学くらいはできるだろうと入って行くと・・
写真撮影はもちろん、見学もできないとのこと。
見学として来た人には断るようにと大阪市教育委員会の方から言われてるとか。
ええっ・・ちょっと見学くらいさせてくれてもいいんじゃないの~?
と思ったのは私のわがままなんだろうか・・
残念だった。
前回のロシア料理の会に続いて、今回の異食文化の会のテーマは「イギリス料理」。
一般的には不味いと言われているイギリス料理だけど、ほんとに不味いんだろうか~?!
ということでイギリスの代表的な料理を各自作ってきて皆でいろいろ検証?してみた。
こちらはヨークシャープディング。
ローストビーフと共に必ず登場するといわれてるもので、昔、肉が高価だったころ肉をたくさん食べなくても満足できるように考え出された食べ物だそう。
シュー皮のようで、中はもっちりしていて、私の好きな食感・・
イギリスではじゃがいもが美味しいそうで、パン、じゃがいもが主食になるのだそう。
これは自分作の「シェパーズパイ」。
正式には羊の肉を使って作るそうだが、ミートソースの上にマッシュポテトを乗せて
オーブンで焼き色をつけたもの。
お隣はアイルランド料理の「ダブリンコドル」というスープ。
じゃがいもでとろみをつけ、ソーセージやセロリが入ったよく煮込まれたスープ。
ヨークシャープディングとローストビーフ、シェパースパイを一人用に盛ったところ。
そういえばイギリス料理はきれいに盛り付けてはいけないのだった・・
盛り付けはドサッ、ドサッと大雑把な感じで盛るのが本場イギリス流?!
こちらはアイリッシュソーダブレッド。
重曹を使ったパンだそう。
そしてイギリスと言えばアフタヌーンティー、アフタヌーンティーといえばスコーン。
クロテッドクリームも用意してくれてて感激~
更に庭で育てたという自家製のラズベリージャムも!
別の友人が手作りしたトマトジャム、生姜ジャム、梅ジャムまで!!
トマトと生姜は初体験の味で意外に美味しく感動~
イギリスではアフタヌーンティーは大切な時間と考えられてるそうだけど、
毎日4時か5時くらいからこんなスコーンみたいな重めのお菓子でお茶するんだろうか~
そんな時間にお茶でお腹が膨れたらさぞかし晩御飯作る気失せるだろうなあ・・
イギリス料理はとにかくオーブンへ突っ込むだけ、という簡単な料理が多いというし・・
ひょっとしてイギリス料理が不味いというのはアフタヌーンティーが充実し過ぎてるせい?
と新たな見解が・・?!
こちらもイギリスではポピュラーなお菓子、自分作の「レモンメレンゲパイ」
パイ生地の上にレモン入りの酸味の効いたカスタードクリーム、そしてメレンゲを乗せて焼いたもの。
そして豪華トライフルとビクトリアケーキ。
このトライフルがとっても美味ーー!
もともとトライフルというのはクリームにビスケットをいれただけの質素なもの(トライフル=つまらないもの)だったそうだが・・
このトライフルは超豪華バージョン!
ラズベリージャムにカスタードに生クリーム、スポンジケーキにフルーツもどっさり。
もちろん紅茶と一緒に堪能した。
イギリス料理・・どんな不味い料理なのか?ちょっと期待していたけど
見事に期待は裏切られ?イギリス料理は結構美味しい!という結論に・・。
「open! architecture」というイベントで大阪高島屋東別館の普段立ち入ることのできない内部やバックヤードなどの見学会があると知り、申し込み訪れた。
戦前、「東洋一の百貨店建築」と称された高島屋東別館は当初は松阪屋大阪店として
鈴木禎次設計により昭和3年から昭和12年にかけて三度に渡って増築され完成した。
高島屋がこちらの店舗を買い取った後は主に事務所として使用してきたため、
改装などされることなくほぼ当時のままの姿をとどめているとのこと。
高島屋の社員の方直々に建物にまつわる歴史話などを聞かせて頂きながらタイムスリップしたかのような内部の雰囲気を楽しむことができた。
11連アーチが連なる堺筋に面した70mの長いショーウィンドウが並ぶルネッサンス様式の外観。
当時堺筋は「百貨店通り」と呼ばれ、北浜の三越、備後町の白木屋、長堀橋の高島屋などが軒を連ねていたという。
当時は角地を効果的に生かす建築が流行っていたのだそうだが、角地の買収に失敗してこのような横に長いスタイルの建築になったのだとか。
外観は細やかなテラコッタ装飾に覆われていて、モチーフはやはりアカンサスの葉があちこちに用いられていた。
内部の意匠には当時先端だったアールデコの装飾が散らばめられている。
英仏に建築を学んだという設計者の鈴木禎次はパリのパサージュをイメージしてアーケードを造ったという。
このアーケードの床のタイルのデザインもアカンサスの葉を省略化したものだそう。
裏へまわって見ると表からは全く分からなかった増築された三つの建物の継ぎ目がよく分かる。
更に手前の第四期の建物は建設途中で延期になってしまったものだとか。
この裏口から内部へ。
見どころの一つ、エレベーターホールは高価な大理石をふんだんに使ったゴージャスな空間。
黒大理石で囲われたアールデコの装飾が美しいエレベーター。
当時は4基動いていたが、現在使用されているのは1基のみ。
階数表示板の針や「下り」「上り」のランプが今でも現役で動いてるというのがすごい~!
後でこのエレベーターにも乗ることができて感激。
中はもちろん新しいものだったが。
エレベーターホールの天井につけられていた緻密な装飾の照明。
この辺りは日本の寺院建築の様式も用いられているということで和洋折衷の美しいエレベーターホールだった。
かつて中二階にあったカフェスペース。
こちらもやはり幾何学模様のアールデコ装飾が施されている。
そして普段社員の方も立ち入ることはできないという階段ホールへ。
当時商品券などを扱うブースが置かれていたという。
こちらも大理石に包まれた優雅な空間。
現在真ん中に一つ残っているアールデコの照明が当時は三つ並んでいたそう。
屋上へ上がると、昭和9年に造られた大阪初という屋上プールの跡が残されていた。
冬はアイススケート場に変わり、大いに賑わっていたのだそう。
その頃は百貨店へ行く、というのは一家総出のお楽しみのレジャーの一つだったんだなあと、
当時の賑わうプールの写真を見て思い巡らせた。
屋上からは昭和3年建築部分の階段を通って下へ。
昭和3年からほとんど人が立ち入っていないという場所へ特別に入らせていただく。
昭和3年建設当時のリノリュウムの床がところどころはがれながらも残されていた。
この他にも写真撮影禁止ではあったが、大食堂の壁面を飾っていたという岡本太郎のモザイクタイル壁画を見せていただいたり、、
もう一つの目玉は、地下2階の現在バックヤードとなっているところには、
地下鉄堺筋線の駅建設を想定して、ホームと店舗を結ぶアーケードの跡が残されていた。
実際には大阪市が地下鉄には民間の手を入れさせなかったため駅誘致は失敗に終わり、
幻の駅となってしまったのだが、もし実現していれば「日本橋3丁目」という駅が存在していたのだとか。
そのアーチの壁の向こうからは時折、地下鉄の走る音が聞こえてきた。
最後に高島屋資料館へ案内して頂き、予定時間の90分を20分ほどオーバーして見学会は終了。
この建物に思い入れを持つ社員の方から、臨場感のある解説を受け、
当時の華やかだった百貨店の様子に思いをはせながら楽しむことができた見学会だった。
雨の日、庭に出て紫陽花を観察?してみた。
さすが梅雨時に咲く花、紫陽花の花は雨が似合うなあ。
義父が作った小さな池にも蓮がかわいい黄色の花を咲かせてた。
昨日朝、玉ねぎのみじん切りをしようと横に包丁入れてたら、親指をグサッとやってしまった~~
ぎゃああ~血が止まらない~~!
どんくさい自分の割には包丁でこんな深い傷を作ったのは初めて。
どうやって血を止めたらいいのか~
保冷材で冷やしながら指を押さえて、血を垂らしながらどうしよう~と言いながらぐるぐる
家の中を歩き回ってたら、
旦那に、そんな歩きまわったら余計に血行が良くなって血が止まらんだろ!
と言われ、それもそうだとじっと我慢して踏みとどまった。
そもそも前の晩もロクに寝れずで寝ぼけ眼で包丁を握ったのがまずかった・・
ここ1、2カ月、息子のアトピーが悪化中で夜中に何度も起きて掻くのでその対処に
おちおち寝てられず寝不足気味・・
とある理由でステロイドを使わずしばし様子を見てきたがもう限界だ~と
この日は朝から以前診てもらってた先生のところへ飛び込みで行こうと決心し、バタついてもいた。
とりあえず血が止まったので息子の皮膚科へ。
ほんとは予約なしでは診てもらえないところ無理言って診察をしてもらった。
ホメオパシーで今まで体内にためてきた悪いものを排出中だった旨を説明し、
先生もホメオパシーを否定はしなかったが、とりあえずこれ以上の悪化を防ぐために
一定期間ステロイドを使用することに。
残念ではあるけどちょっとほっとした・・
おかげで昨日は息子共々いつもより安眠できた。
指の方はその後時間があったので近所の外科に戻って来てみてもらい、テープでくっつけてもらった。
指の怪我はやっぱり不便。
携帯メールを今まで左親指で打ってたようで、右ではなかなか打ち辛いし、
ピアノの練習もしづらくなってしまった。
ああ、早く完治してほしいなあ。
ただ今、菖蒲真っ盛りの池田の水月公園。
昨日は、またまた川西でのバドの団体戦があった。
三試合のうち私は二試合出させてもらって2-0、0-2の1勝1敗、チームでは2敗してしまった。後の一試合は先に帰ったので分からず。
一試合目はあっさり勝てたのだけど、二試合目は格上の強豪?ペアに当たって打ちのめされてしまった。
落ち込む~~
6月はこれで試合は終わりだが、7月にも2回試合があり・・
もっと練習を積んで臨みたいところだけど、いまだ喘息の薬飲んでるくらいなんで
全力で練習できないのが辛いところ。。
「亜州食堂チョウク」でお昼ごはんを食べた後、やって来たのはメリヤス会館。
昭和4年に竣工した鉄筋コンクリート造地上3階建の建物。
当時福島の地ではメリヤスを中心とした繊維製品の製造販売が盛んで、ランドマーク的なものだったという。
なんとなく横にだらだら?長い不思議な形のビルだなあと感じたのは建設されてから3度に渡って増築されたためのよう。
「莫大小」と書いてメリヤスと読む。
竣工当時からある入り口。
増築されているため、中の階段の付き方が変わってる。
途中から左右に分かれる階段。
アーチ窓が並ぶ二階の廊下。
二階には雑貨屋さんの店舗が入っていた。
もう一方の分岐の階段を上がると、こんなポップなカラーの入り口が。
中へ入ると更ににぎやかな店内。
こちらはアメリカのビンテージもののファブリックのお店だった。
更に階段を上がって4階へ。
階段を上がりきったところの小さなスペースには床から30cmほどの高さまで黒い厚みのあるタイルが張り巡らされていた。
屋上にもこんな噴水が。
メリヤス会館のビル探検、なかなかおもしろかった~
後、福島に残る長屋の町並みも見ておきたかったのだが、もう時間がなくて断念。
でも、この日は皆で十分満喫できて、楽しい一日だった!
長屋の方は又機会を見つけて今度訪れてみよう。
エーデルワイスミュージアム、岸田ラムネと立ち寄り、異食文化の会のメンバーでお昼にやってきたのは福島にある「亜州食堂チョウク」。
当初は先日ロシア料理の会を皆でやったので福島にある「ボーチカ」というロシア料理のお店に行こうということになってたのだが、私が亜州食堂のサイトを見て一目ぼれ・・
ぜひ行ってみたい~と今回ここにしてもらった。
こちらのお店では南インドの庶民の昼食として食べられているカレー定食「ミールス」を始め、
アジア各地の大衆食堂で食べれる美味しい定食いろいろが食べれるという。
こちらは南インドのミールス。
現地の食堂ではテーブルの上にバナナの皮が敷かれていて、その上にご飯と数種類の汁けの多い野菜カレー、付け合わせが盛られるのだそう。
こちらのお店ではこんなバナナの葉の形をしたお皿にのって出てくる。
皆がミールスを頼んだので私は「ナシカンダール」というマレーシアの食堂で出される定食を選んでみた。
ご飯の上にスパイス煮など数種類のおかずがのる。
現地では手を使って食べられるというミールス。
このお店でも希望すれば手で食べられるという。
ここで私とKさんが手食にチャレンジしてみることに。
フィンガーボールが用意され、お店の人が簡単に手で食べる方法を説明してくれた。
まずはおかずとご飯を手でぐちゃぐちゃ混ぜてみる。
熱々なのやけどしそう~
たぶん現地では熱々を食べれることはないだろうからやけどの危険はないのだろう。
最初は恐る恐るだったのが
手づかみでご飯を食べるなんて、普通じゃイケないことを堂々とできる快感、
ワイルドな?!自分に酔いしれて、なんだか解き放たれた気分に・・
最後に、手食にチャレンジした人には何と50円のキャッシュバックがあった。
そして食後のチャイ、これもとても美味しかった~
こちらでは曜日代わりで各国の定食が味わえるようで、ちょっと通ってみたくなるようなお店だった。
そして当初行こうと思ってたロシア料理のボーチカへもついでに行ってみた。
ボルシチとピロシキのセット500円を夕飯の一品にお持ち帰り。
ボルシチはたっぷりの量がうれしい~
サワークリームも別容器でちゃんと持たせてくれた。
が、ピロシキはこの前、皆で作った方が美味しかったかも?!
エーデルワイスミュージアムを出て、車を走らせた途端、私の目に飛び込んできた消え入りそうな「ラムネ菓子」の文字。
皆に、「今、ラムネ菓子って書いてあったんやけど、工場かなあ??」
と気になるそぶりを見せたら、皆察知?してくれ、Uターンして行ってみることに。
うれしい!
旦那と車で走っていても、こういうのは80%以上は却下されるんで、今までいろいろ気になるものを泣く泣く見逃してきた。
その点、この仲間は興味の対象が結構かぶっているので楽しい。
一方通行の道をぐるりと回ってきてあった気になる入り口。
「ラムネ菓子売ってます」の札が下がってる~
早速中へ入ってみることに。
大きなパレットにできたてのラムネが積まれている。
ご家族で?営まれている小さなラムネ工場だった。
奥ではちょうど一台の大きな機械が動いていてラムネ製造中だった。
年季の入ったなかなかいい機械だったのだが、ここは撮影はご遠慮をと言われたので写さず。
「岸田ラムネ」、聞いたことあったが、ここで作られてたんだなあ~
ほんのり温かいできたてのラムネも試食させていただけた。
(ラムネはできたてよりしばらく置いたものの方がおいしいのだそうだけど。)
小さな販売コーナーには、スーパーで買うよりお手頃価格になったラムネが売られていたので皆で購入。
以前、この異食文化の会でラムネ作りにもチャレンジしたこともあり、
その時ラムネ作りを教えてくれたラムネフリークのIさんがここのこのコインのような動物ラムネが一押し!
というので皆で買ってみた。
Iさんいわく、ここのラムネはコーンスターチがほんの少しダマになり舌に残るザラザラ感がいいのだ!とのこと。
なるほど、なめらか過ぎず素朴な手作り風のラムネだなあ。
お店のおばちゃんには包装ミスがあったラムネを一袋ずつおまけに頂いて、皆で満足感にひたりながら福島方面へ向かった。
今日は今月から入った関西洋風建築講座に初めて参加した。
この講座にはブログでやりとりさせて頂いているひろ009さん、ぷにょさん、yumeさんも入っておられ、今回初の顔合わせに。
コメント欄でやりとりしたことあるとはいえ、初対面の人と話すのは苦手だし人見知りする自分なのでかなり不安~
誰が誰だか分からない上とても自分から声かけれないよ~と思ってたら、
三人の方から「まゆままさん?」と声かけてもらえた。
よかった~言われなければこのまま建築だけ巡ってご挨拶もなしに帰るとこだった;
皆さんやさしそうな方々でホッと一安心。
この日の見学は神戸市立生糸検査所と国立生糸検査所。
まず初めに伺った建物は昭和2年に建築された神戸市立生糸検査所。
設計は清水栄二率いる神戸市営善課によるもので実際の設計者は意匠を得意とした熊本一之
だそう。
縦のラインが強調されたゴシック様式のファサード。
ファサードのエントランスには黄金の生糸を吐く蚕をモチーフとしたテラコッタが特徴的。
この蚕のモチーフは外観の数か所に用いられていたが、とっても興味深いデザインだ。
エントランスホールはヨーロッパの影響を受け、天井などが曲面で構成された落ち着いた雰囲気になっている。
階段周りには二種類の高価な大理石が使用されている。
親柱はハニーオニックスと言われる温かみのある色合いの大理石。
オレンジと灰色のツートンカラーの大理石が効果的にデザインされていた。
二階から三階へ上がる階段ホール。
そして生糸の検査室へ。
こちらは上の糸巻きからボビンへ巻き取り糸の強度を調べるための機械だそう。
こちらは所長室。
家具なども当時のまま置かれている。
屋上へ上がると、当時生糸の博覧会のパビリオンの一つになった建物の名残りの塔屋が残されている。
こちらはキュビズムとドイツ表現主義といわれるデザインだそう。
そして渡り廊下を通って隣の国立生糸検査所へ。
国立生糸検査所は市立生糸検査所の5年後の昭和7年に建てられた。
こちらの屋上にはスクラッチタイルと御影石が使われた塔屋が立っている。
この辺りのビルに塔屋が多いのは道からの視線はもちろん、
船からの視線を意識したものであったのだそう。
こちらの階段にはセメントに大理石の粒を混ぜたというやや質素な素材が使われていた。
そしてタイルが多様されているのが特徴。
こちらには縦と横の櫛目のスクラッチタイルや床には布目模様のタイルが美しく張り巡らされていた。
講座はこちらで一旦解散となり、希望者はお隣の新港貿易会館を見学。
その後、お茶に混ぜていただいて、第一回目の講座を無事終えることができた。
団体での見学だったので一人の時とは違って写真を撮るのが難しかったり、説明も聞かないと~
とあたふたしてして、見逃したり聞き逃したりしたところもあったと思うが、
個人ではなかなか見学できない建物内部を見学できたり、
専門の先生から説明を受けながら建物を見ることができるのはやはり建築講座ならではだなあと楽しめた。
そして今回ブログでの知り合いの方と3人も一度にお会いすることができて・・我ながらすごい~とちょっと感激だった。
異食文化の会、初の遠征?で、「エーデルワイスミュージアム」へ訪れた。
ここはヨーロッパの歴史的な製菓道具類が約5000点展示されているというミュージアム。
この会の皆ならきっと興味を示してくれるに違いない~と期待して、
メンバーのKさんの運転で連れてきてもらった。
エーデルワイスミュージアムは尼崎の本社工場4階にあり、大人一人200円の入館料、要予約で見学することができる。
四階でエレベーターを降りて目に飛び込んできたベルギーやドイツ、イギリスなどヨーロッパのアンティークのお菓子の木型。
この木型に我々(私?)はすでにノックアウトされてしまった。
この動物たちの木型を見よ!
なんて!かわいいんだ~~
どの木型のデザインも素朴で愛らしく美しいものばかり・・
そして館内へ。
所狭しと並ぶお菓子の道具たち。
こちらはチョコレート型。
チョコレートの起源は約1400年前のメキシコのマヤ族によるもので、
17世紀にスペインからヨーロッパ全土へ広がったそう。
当時は苦い液体だったが、やがて砂糖やミルクが加えられ、現在のような板のチョコレートが登場するのは19世紀に入ってからだそう。
チョコレートはやはりベルギーが本場だそうでこちらのエーデルワイスでもベルギーから輸入し、菓子作りに使用しているのだという。
こちらはパン職人の部屋を再現したもの。
銅でできたボールや型などなど・・どの道具も美術品のように美しい~
ねずみなどの害虫から守るパンを保存していた棚。
店頭などに置かれてたそうだけど、なんと豪華な・・
こちらもパンキーパー。
淡い水色のホーローがとってもかわいい!
陶器でできた出産祝い用の赤ちゃんの形をした型など。
陶器の型も味わいがあっていいなあ。
ヨーロッパでは今でも陶器製のプディング型、ビスケット型、スポンジ型が使われているそう。
こちらはもっとも高価な銅製のクグロフ型。
銅板を使って職人が匠の技でコツコツと打ち出して作ったもの。
クグロフはフランスのマリーアントワネットの好物といわれ、
フランスやオーストリアのクリスマスには欠かせないものだそう。
生地を挟んで直火で焼き上げるワッフル型。
ワッフル型の原型は聖体拝領の時に信者が食する薄焼きせんべいからきてるとのことで、
焼き面には聖体が図案化されているものがあり、ワッフルの始まりは宗教と深く結びついていたことがわかる。
ちなみに日本のゴーフルはワッフルのフランス語訳だそう。
うわぁ~このパイカッターもいいなあ。
麺棒も、陶器製のものからガラス製のものまでいろいろ。
お菓子の会社の景品として作られたビスケット型のインク壺。
ほ、欲しい~。
館内にも菓子木型がたくさん。
ヨーロッパの木型の中でもベルギー、ドイツ、オランダで作られた菓子木型の中には
美術的に見ても傑作が多いそうで中には16世紀の古いものも残っており、
補修されながら200年以上も代々大切に使用されてきたものもあるのだそう。
キャンデー製造機。
みかんなどのフルーツ型がかわいい。
そして最後のコーナーにはお菓子を入れるブリキの缶のコレクションも。
お菓子のパッケージ。
まだまだすばらしい展示品はたくさんあったがきりがないのでこの辺で。
お菓子道具ひとつひとつを見てもどれも職人の魂が込められた美しい細工が見られ、
それに敬意を表して代々にわたって大切に使い続けるお菓子職人の姿も垣間見え、
ヨーロッパのお菓子文化の奥深さにあらためて感動させられた。
この後は福島方面へランチに向かった。