m's diary

日々の暮らし、旅、建築巡り、クラフト、など気ままに・・

長崎の旅2017【聖フィリッポ教会他】

2017-04-26 | 長崎の旅2017

2日目の朝の早朝散歩で訪れてたけど、書き漏れてた聖フィリッポ教会。

昭和37年に今井兼次設計により建てられたもので、

モザイクタイルが散りばめられた双塔はまるでガウディのサグラダファミリアを彷彿とさせる。

コンクリート打ち放しの建物とは対照的な塔

 

 

 

 

 

塔に入れられた陶片は、豊臣秀吉のキリシタン迫害により、京都から長崎まで連行された26聖人の道のりを辿り、

各地から集められた陶片モザイクなのだそう。

 

 

茶碗やお皿がそのまま貼り付けられてるものも

 

 

早朝だったので聖堂内はまだ開いておらず、外から館内を眺めるのみ

ステンドグラス?のようなものが見える

 

 

 

 

 

十字架をモチーフにした窓

 

 

コンクリートの壁面に貼り付く十字架や窓など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖フィリッポ教会の向かいにある日本二十六聖人記念館もフィリッポ教会と同じく今井兼次設計。

 

 

こちらの壁面にも陶片が抽象画のようにデザインされ貼り巡らされている。

 

 

 

 

遠目で見るとよくわからないけど近寄って見ると和風な陶器類が多い

 

 

 

 

陶片に混ざってガラス片もカラフルできれい。

こちらの記念館も、まだ開館してなかったので、後で来れれば、と思ってたけど、時間が押して結局来れずじまいに。

 

 

そして外海の帰りに最後に立ち寄った長崎大学。

正門前にある明治36年に架設された石造りの拱橋。

 

 

大正8年に建てられた長崎大学瓊林会館は現在同窓会事務局として使用されている。

当初は研究館として建てられたもの。

 

 

明治40年に建てられた煉瓦造りの経済学部倉庫

 

 

これで長崎二日間の建築巡りの旅は終了。

いつもながらとっても充実した二日間だった。

 

 

 

 

 

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長崎の旅2017【丸尾石積群他】

2017-04-25 | 長崎の旅2017

池島からフェリーで戻った後は、神浦港の付近を少し散策。

あちこちに石積みの塀や階段などが見られた。

 

 

この小屋は木とトタンと石積みのツギハギ?!

 

 

薄目の石を並べた塀も

 

 

ふと路地を覗くと、猫が三匹。

 

 

なぜこんなところ??

瓦の上になぜかサボテンが増殖中?!

 

 

そして近くに丸尾石積群という、いたるところに石積が見られる地区があるというので行ってみた。

 

 

こちらは石で造ったトンネル型水路

 

 

石は結晶片岩というもので、西彼杵半島一円に点在する石積群の中でもこの地区の石積群は特に美しいといわれる。

 

 

こちらは石積みの小屋

 

 

すごい!

一面が石積みになってる小屋。

美しい~

 

 

 

 

 

この階段のある小道もものすごい

 

 

目の前に迫ってくるような石垣

よくも崩れずバランスを保ってるなあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで城壁のような石垣も。

石マニアのぷにょさんも大満足な石積群だった。

 

 

 

 

 

 

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長崎の旅2017【池島炭鉱跡その二】

2017-04-23 | 長崎の旅2017

行きのバスでそばを通って、気になっていた施設を見にやってきた。

この大掛かりな装置は石炭を使った石炭火力発電所で、昭和41年に設置されたものだそう。

 

 

この発電所には発電時のボイラーの蒸気を利用し、海水から真水をつくる装置がある。

日本で初めて設置されたものだとか。

 

 

この旧発電造水施設がただならぬ迫力で迫ってくる。

まるでハウルの動く城のような・・

 

 

錆びて、朽ち果てるがままに任せた施設が一層凄みを醸し出してた。

 

 

 

 

 

 

錆びフェチにはたまらん光景・・

 

 

フェリーターミナルの対岸は貯炭場、積込場として使われていたところで、

炭鉱稼働当時は多くの石炭輸送船でにぎわっていたという。

最も大きなこの機械はジブローダーといって、貯炭場に運ばれた石炭をベルトコンベアーに積み込む機械だそう。

 

 

貯炭場から斜面に沿って選炭工場、シックナーなどの建物や設備が並ぶ。

この辺りはさすがに立ち入り禁止区域のよう

   

 

 

  

ちょうど炭鉱内のツアーの参加者がトロッコに乗って帰ってきた。

 

 

これで島内を大体一通り回ることができた。

フェリーの本数はそれほどないので、予定してた帰りのフェリーで帰途についた。

池島炭鉱が閉山したのは平成13年だし、まだ住まわれている人々もおられるということで

廃墟施設が多数の中、風化途中の生々しさも残る貴重な産業遺産をじっくりと見ることができ、

興味深い体験をすることができた。

 

 

 

 

 

 

 

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長崎の旅2017【池島炭鉱跡その一】

2017-04-22 | 長崎の旅2017

外海の教会を巡った後は、池島へ渡り、炭鉱跡をまわることに。

神浦からフェリーに乗って池島へ。

 

 

第二の軍艦島と呼ばれる池島は九州で最後まで残った炭鉱の島で、昭和27年から平成13年まで操業を続けてきたそう。

島の人口は最大時の昭和45年で7776人を数え、出炭量は153トンに達していたという。

閉山はしたけれども、現在もまだ200人ほどの人々が島に住まわれているのだとか。

 

 

炭坑内のツアーもあったのだけど、今回は外海も回ったので時間もなく

島内も自由に歩き回りたかったので、ツアーはパスすることに。

まずはバスで終点までやってきた。

ここにはもう今は人は住んでいない8階建ての高層社宅が残されている。

 

 

8階建て社宅は昭和45年のピーク時には池島の人口は8000人近くまで増えたため、

狭い敷地の中で多くの従業員の住まいを確保するのに建てられたという池島ならではの炭鉱関連遺産。

 

 

8階建の社宅だけれどエレベーターはなく、代わりに地形の高低差を利用して

4階部分と5階部分に廊下と連絡橋を設置することで、

8階の住人は1階から8階まで上がらなくてもいいつくりになっているのだとか。

 

こんな蔦に絡まれた廃墟アパートも

 

 

こちらは池島小中学校。現在は生徒は2人。

ピーク時の昭和45年には小学校だけで1287人のマンモス校だったそう。

このグランドの広さもうなずける。

 

 

しばらく歩くと団地群も見えてきた。

 

 

この辺りの建物にももう住んでる人はいないようだ。

島内に巡らされてるパイプ、これは発電所の蒸気を主に浴場へ、

真水を施設や各家庭へと供給するための配管なのだとか。

 

 

 

 

今も営業している銭湯もあった。

銭湯マニアなぷにょさんは入りたそうにしてたが・・

 

 

見晴らしのいい高台から港の方へ下りる道には

 

 

飲み屋さんが軒を連ねる通りがある。

 

 

元はスナックらしき建物や元旅館なども・・

 

 

蔦が絡まるドア

 

 

 

 

 

ボロボロの廃墟が立ち並ぶ

 

 

 

旅館跡

 

 

下まで降りてくると、又ぽつぽつと建物が並ぶ通りがあったが

 

 

最近までやっていたような理容院には休業との張り紙が

 

 

喫茶店?白樺

 

 

ここは元パチンコ屋さんかなあ?

パチンコ台が積み重なって放置されてた。

 

 

 

シャッターも錆びつき、朽ち果ててこの通り。

じわじわと風化の一途を辿る町並みが見れた。

その二へ続く・・

 

 

  

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長崎の旅2017【外海・教会巡りその二】

2017-04-19 | 長崎の旅2017

 

次に訪れたのは出津教会。

こちらの教会は予約が必要で、教会に到着するとガイドの方が待ってくださっていた。

出津教会は明治15年にド・ロ神父設計施工により私財を投じて建てられた。

  

木造平屋造で建てられた教会は強い海風に耐えうるよう屋根が低く抑えられているのだそう。

 

 

内部は撮影禁止だったのだけど、木のぬくもりが感じられる質素で堅牢な造りになっていて、

アーチ窓も中から見ると引き戸になっていたりと和風の要素が取り入れられていた。

 

 

ガイドの方はド・ロ神父がいかに外海の人々のために尽くしたのかということを語り聞かせてくださった。

 

 

出津教会は斜面に建つので後方はこんな石垣と石積の階段がある。

 

 

出津教会からはド・ロ神父も歩いたといわれるのどかな小径を歩いて、旧出津救助院へ向かった。

 

 

旧出津救助院もド・ロ神父によって住民を困窮から救うために創立されたもの。

 

 

入口入ってすぐの現在受付として使われている建物は旧薬局として使われていた。

 

  

こちらは明治16年に建てられた救助院の中でも中心となる授産場で

 

 

1階は作業場になっていて、綿織物の製糸から染色、素麺やパンの製造、醤油の醸造が行われていたという。

 

 

二階は修道女の生活場所として、又礼拝堂として使用されていた。

 

 

ド・ロ神父がフランスから取り寄せたという柱時計。

 

 

リードオルガンの一種であるというハルモニウムもフランス製の高級品でド・ロ神父が取り寄せたもの。

単音でも和音が出せる機能を持ち、毎日のミサで使用されていたという。

音を聞かせて頂いたけど、とてもきれいな音色。

 

 

マカロニ工場だった建物

マカロニは当時長崎にいた外国人に売られていたという。

 

 

 旧製粉工場

 

  

ド・ロ神父が考案したと言われる「ド・ロ壁」

自然石の石積の間に赤土に石灰と砂をこね合わせたものが入れられていて雨に強い丈夫なものだそう。

 

 

救助院の向かいにあるド・ロ神父記念館は明治18年にド・ロ神父設計により建てられた旧鰯網工場。

 

 

 

その後、向かったのは大野教会。

明治26年に大野地区の信徒のためにド・ロ神父が建てたもの。

 

 

こちらの教会は救助院でも見た「ド・ロ壁」で造られている。

 

 

入口はこの壁の向こう側に回り込んだところにある

 

 

  石積みの外壁はまるでヨーロッパの 片田舎にある教会のよう。

 

 

間に木造部分も

 

 

 

 

内部は立ち入り禁止になっていて、ガラス窓の外側から覗いてみると

とてもシンプルな造りになっていた。

 

 

そばにはマリア様の像。

 

 

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長崎の旅2017【外海・教会巡りその一】

2017-04-17 | 長崎の旅2017

長崎二日目、早朝散歩を終えた後はぷにょさんと外海方面へ行くことになっていた。

レンタカーを借りていざ出発!

車の運転は知らない道はやったことがない私だったが、今回は走行距離は長そうだし、

意を決して、運転をしてみると名乗り出たのだったが、、

いきなり道を間違えたと思ったら、更に暗いトンネルに入ってパニック状態に・・

5分も経たないうちにぷにょさんと交代するはめになってしまった;

 

 

外海へ行く前に神ノ島教会へ立ち寄った。

神ノ島は、もとは長崎から船でしか往き来できない不便な島だったため、隠れキリシタンの潜伏地となっていたのだそう。

 

 

神ノ島教会は明治30年、デュラン神父が私財を投じて建設した煉瓦造りの白亜の教会堂。

 

 

小高い丘の上に建つ教会堂までは、ひたすら階段を上って。

真っ白な塔はまるで灯台のようにも見えるなあ。

 

 

ちょうどミサの最中で聖堂内へは入ることはできなかった。

 

 

ルルドのマリア様

 

 

そして小1時間車を走らせやって来たのは黒崎教会。

明治30年からド・ロ神父指導により建設され、大正9年に完成した煉瓦造りの教会。

 

 

こちらの教会も険しい階段を上って。

年寄りの信者さんには応えるだろうなあ。

私もこの時点ですでに歩き過ぎで膝を痛めてて、下りの階段はヤバかった;

 

 

聖堂は信徒が一つひとつ積み上げたレンガで造られているという。

 

 

黒崎は遠藤周作の小説「沈黙」の舞台ともなっている。

 

 

ちょうどミサの最中だったので、終わるまで外観を見学。

 

 

ミサが終わった後、こちらの教会は内部撮影許可を得て。

リブ・ヴォールト天井がとても美しい聖堂内。

 

 

 

 

ステンドグラスもカラフル。

 

 

ステンドグラスから差し込む光が床に落ちてきれい。

 

 

 

 

 

 

 

 

2階席に上がる階段。

 

 

 

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長崎の旅2017【早朝町歩き】

2017-04-14 | 長崎の旅2017

長崎二日目の朝、この日はぷにょさんと外海方面へ行く予定だったので、

出発時間の8時までに町中を見ておこうと一人早朝散歩へ繰り出した。

 

 

有名な名所、眼鏡橋は日本初のアーチ式石橋

 

 

ちょっと離れたところから見ると、ちゃんと眼鏡になってた。

 

 

橋のたもとにあった旧交番は、現在は中島川公園安全・安心・交流センター。

 

 

300年の歴史ある老舗の江崎べっ甲店。

明治31年に建てられた和洋折衷の建物

 

 

窓(ショーウィンドウ?)の下の漆喰装飾

 

 

大正4年に建てられた旧安井小児科医院

 

 

玄関ドア上部の装飾

 

 

レトロな衣料店のショーウィンドウ

 

 

ショーウィンドウ下のタイル

 

 

美容院の入口周りにふんだんに使われてたタイル

 

 

ドア周りのアールに沿って美しく貼られてた

 

 

大判タイルで緑の釉溜りが美しい~

 

 

二つ並んだ面格子が可愛い窓

 

 

窓枠が特徴的なレトロビルも

 

 

壁面いっぱいに陶器が張り巡らされてたビル

 

 

昭和37年に建てられた旧長崎市公会堂。

長崎市出身の建築家、武基雄設計によるもので日本の近代建築100選に選ばれている建物だそうだけど

老朽化のため解体予定だとか。

 

 

 

 

大正13年に建てられた旧長崎無尽は現在長崎銀行本店。

 

 

 

大正12年に建てられた旧長崎警察署は現在、長崎県庁第3別館に。

 

 

持ち送りのデザイン

 

 

 

 

 

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長崎の旅2017【南蛮茶屋&卓袱料理】

2017-04-13 | 長崎の旅2017

長崎の旅の続き・・

途中、休むことを忘れて歩き続けて、夕方になってようやくひと休みにお茶しにやってきた。

チェックしていたよさげな喫茶店、南蛮茶屋。

 

 

ステンドグラスの看板

 

 

 

 

 

 

カウンター付近

 

 

奥に長いうなぎの寝床状の古い町屋に、

アンティークな家具や調度品が溶け込んでいていい雰囲気のお店だった。

 

 

 

 

お店を出た後、近くにはこんな電車がめり込んだような不思議なお店も発見。

 

 

その日の夕食は長崎の卓袱料理にしたのだけど、中華料理店でお手軽価格で食べれるものだったので

中華のコース??みたいな内容だったけど、美味しかったので満足。

刺身に豆腐の皮?を千切りにして和えたもの、エビチリ

 

 

角煮まんに「ハトシ」

長崎名物のハトシは食パンの間にエビなどのすり身を挟んで油で揚げたもの。

 

 

 

鶏のから揚げ甘酢餡はごく普通の中華

 

 

青菜の炒め物

 

 

最後はちゃんぽんか揚げそばの選択で、揚げそばを。

ホタテやエビ、イカ、そしてからすみが乗った豪華バージョン!

 

 

そして〆は杏仁豆腐。

 

 

 

 

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長崎の旅2017【南山手の町歩きその二】

2017-04-06 | 長崎の旅2017

南山手町歩きの続き・・

この路地のトタンに囲まれた建物群は何だろう?

と思っていたら、看板があり、この土地はソ連邦所有のものだとか。

何の建物だったんだろうか~謎めいてる・・

 

 

しばらく歩いて、階段下の方に見えた館は、明治中期に建てられた洋風住宅。

現在は修復され、長崎出身画家の須加五々道美術館となっている。

 

 

 

 

坂道だけでなく、こんな急で長い階段も。

生活するには大変そう・・

 

 

そして、明治35年に建てられた赤煉瓦造りの建物は

元はラムネなどの清涼飲料水を製造販売する「バンザイ清涼飲料水会社」の工場で
 
現在は各種合繊、ロープ製造などの宝製鋼株式会社の建物になっている。

 

 

とても長い建物

 

 

 

南山手町並み保存センターは南山手12番館の敷地に建っていた旧雨森邸を移築復元した建物。

 

 

中はきれいに改装されているが

 

 

当初のままの暖炉が残っていたり

 

 

階段親柱の彫刻も立派

 

 

市民のための貸室などで利用されていて、使い勝手の為か、洋室だけど畳敷きにされた部屋もあった。

何とどの部屋も市民なら1時間105円で借りれるみたい・・

 

 

明治37年に建てられた長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館。

長崎市内でも最大級の石造り洋館だそう。

記念館と多目的ホールとして使用されている。 

 

 

当初の銀行の営業室の雰囲気が残っているホール。

 

 

細やかな漆喰装飾も。

 

 

格子の細工が美しい窓

 

 

ホールには数カ所暖炉も

 

 

明治31年に建てられた旧長崎税関下り松派出所。

現在は長崎市べっ甲工芸館として使われている。

ここにたどり着いた時には、ちょうど閉まる時間で、中に入れず。

 

 

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長崎の旅2017【南山手の町歩きその一】

2017-04-05 | 長崎の旅2017

グラバー園を出た後は、更にぷにょさんとチェックしてた建物を巡った。

紅葉病院本館。明治中期に建てられた病院兼住宅だったそうで、現在は使用されてないようで廃墟のようになってた。

 

 

裏手の方へぐるっと回ってみたところ。

裏の駐車場になってる空き地にかかるように建物が張り出し、扉がついていたので、

当初は2階からも出入りできるようになってたんだろうか。

 

 

そしてすぐそばにある杠葉病院別館。

こちらも明治中期に建てられた旧レスナー邸
 
現在は病院の事務所として使用されているとの看板があった。
 

 

 

本館とよく似たデザインだけど、別館の方は2階に面格子が入れられてた。

病室として使われてたのか?!

 

 

玄関以外にもコーナー部分にも出入り口があった。

 

 

玄関にやって来た時、ぷにょさんからいきなり雄たけびの声が上がった。

な、何事?!

振り返ると、ぷにょさんが私の足元辺りを見てタイルだ!と

 

 

玄関ポーチには擦り切れて、半分くらいは剥がれ、はげたり、割れたりしたマジョリカタイルが敷き詰められてた!

あまりにも擦り切れていたので存在感が薄れ、踏んでても気付かなかったのだ;

 

 

そのうちの一枚に水をかけてきれいにしてからパチリ。

ちょっと和風な雰囲気のデザインだなと思ってたけど、

看板の説明によるとイギリス製のタイルだそうで、建物の廊下や暖炉脇にもタイルが使われているそうだ。

見たい~~、けど、休日だからか?建物には人の気配はなかった。

 

 

入口のドアノブ

 

 

その後、マリア園へ。

明治31年に建てられた煉瓦造りの児童養護施設。

 

 

玄関上のアーチ窓からは天使ミカエルの像

 

こちらは礼拝堂部分

 

 

中を見学させてもらうことができるかお願いしてみたら、

この日は人手がいないということで礼拝堂だけをささっと見せて頂くことができた。

リブヴォールト天井が美しいこじんまりとした礼拝堂

 

 

ステンドグラスも

 

 

建物は奥へ長く広いようで、建物に沿って歩いた。

ドーマー窓が並んだ銅板貼りの屋根も見える。

 

 

マリア園の敷地が終わったところで、どんどん坂を下りる。

 

 

木蓮の花が満開できれいだー

 

 

どんどん坂の途中にも洋館が数軒残っていて、同じ形式の家が2、3軒横並びに

 

 

 

 

 

その下にも

 

 

さらにどんどん坂を下ると、ものすごいインパクトのある門にも出くわした。

小さな平らな石を積み上げて造った門と塀。

 

 

 

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