今日は「三都建築散歩」という本を見ていて目に留まった関西大学博物館へ行くことにした。
トレーニング(何の?)を兼ねて電チャリで。
電車で10分程度のところだから楽勝かと思いきや、道、間違えるは、アップダウンの激しい道のりに電気が切れないかとひやひやしながら・・なんとか到着。
この博物館となっている建物、関西大学簡文館は一番古い部分が昭和3年に元は、図書館として建設され、昭和30年の大きな増改築時に村野藤吾によって現在博物館展示室となっているこの円形の建物部分が増築された。
平成18年には登録有形文化財に登録される。
外観はコンクリート造りに茶色、青、緑、黄のタイルが張り巡らされている。
下のカラフルなタイルの部分はコーナーごとに少しずつデザインが違っていて面白い、なんとなく夢のあるデザイン。
窓ガラスには飾りの窓枠が施されていたり(写真じゃ見えにくいが)、柵もシンプルながらひと工夫されたデザイン・・
天辺のカーブの部分は明り採りの窓になってるそう。
現在は展示室になっているためかふさがれて残念・・
村野藤吾ならではの優雅な曲線を描くらせん階段。
昭和3年建築当時、玄関となっていた部分。
ここから先は昭和3年建築の部分。
年季を帯びたタイルが渋い色合いを放ってた。
階段を上った所には受付風の小窓。
ブドウがモチーフの装飾がつけられている。
こちらの方は昭和初期の建物なので天井が高くゆったりとしているが、
後から増築した部分と天井の高さが違うのでつじつまを合わせるのが大変だったとか。
こちらは資料室となっている。
扉や入り口などあちらこちらで見かけるぶどうの装飾。
そして2階の博物館展示室へ。
こちらは当初の建物部分の展示室。
この第一展示室には日本の旧石器・縄文時代からの考古学資料が展示されていた。
縄文土器や勾玉などの装飾品、埴輪などなど・・
第二展示室は村野藤吾設計の円形増築部分の2階で中央の天井の明かり採り窓は満天の星空のようでほんとにきれい!
天井に近い上部の黒い部分も今はふさがっているが本当は明かり採り窓になっていたようで、元は図書館だっただけにこの部屋は光が降り注ぐ明るい空間だったんだろうなあ~と。
天井の明かり採り窓を下から見上げて。
この庇は1952年に竣工し、2005年に解体された村野藤吾設計による岩崎記念館別館(旧大学院ホール)から移設されたものだそうで屋根面はガラスで支柱やフレームは鉄棒により構成されていて、アールヌーヴォーを彷彿とさせるデザインとなっている。
こんな優雅な曲線使いが日本で見られるなんて・・?!
昭和3年築の建物と増築部分の境目
昭和3年建築部分の外壁。
関大にはこの他にも村野藤吾設計の建物がいくつかあり、少し回ったが、雨が強く降りだしてきたので慌てて帰途についた。
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今度の春休みに韓国へ行くことに急遽決定。まだ二ヶ月先の話だけど;
韓国リピーターの友人Iさんが春休みに韓国へ行く、と盛り上がってるのを聞いてるうちにすっかり洗脳され、ウォン安の今、韓国へ行かずしてどこへ行く?!という気になり、我が家も韓国へ行くことになった。
結局、友人家族より早くに航空券ゲット、安宿の手配も完了してしまった~
旅行記によると韓国へは17年前にに初めて韓国陶磁に憧れてソウルへ訪れて以来、
旦那と一度、一人で一度、そして一番最近では3年前にその友人Iさん家族とフェリーに乗って釜山へ李朝家具の買い付けに行く、という荒業の旅を成し遂げていた。
その時の旅行記はこちら。
13時間の船旅の苦しかったこと(船酔いで)、港から家具をトラックに積み込んで運転してくれた友人Iさんの勇姿が思い起される・・
今回はもうさすがに家具は買えない(置くところがない)が、韓国、ソウルにも意外と残されているという近代建築を見たいのとその中でもヴォーリズ建築の梨花女子大を見てくるのも目的の一つにしようかと。
本によると”東アジアでのヴォーリズの建築記録は150件以上を数えていてとりわけ韓国での活動は盛ん”と記されてたので期待してたのだが、聞くところによるとソウル、又はソウル近郊では梨花女子大と鉄原第一監理教会(ここは一日がかりというのでパス)しかないとのこと。ヴォーリズの建築物は韓国より、北朝鮮の方にたくさんあるとか・・
ただ今、韓国の近代建築についての本がないかなあと探し中・・
最寄の地下鉄の駅やマップなどが出てるのはないかなあ?
そんな都合のいいものないだろうなあ~
三泊四日の短い期間、家族で行くので建物ばかりは見てられないし、子ども、旦那のお楽しみも考えないといけないが・・
韓国は五度目にもなるので今までとは又違った旅がしたいなあ。
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今週末は厳しい寒さがやってくるってことだったので昨日は図書館で大人しく過ごし、今日も家でまったりのつもりで、のんびり起きてブランチにたこ焼きをした。
ホットプレートを変えてから大き目のたこ焼きが一気に三十個できるのでなかなかいい感じ・・
ソース味のたこ焼きを散々食べた後、更に明石焼き風のダシに変えたらまだまだ食べれた自分が恐かった~
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お腹がいっぱいになったので少しは動かないと~と、やっぱり出かけることに・・
吹田市立千里市民センターのプラネタリウムへ。
ここは大人100円、子ども50円という低価格で中規模クラスの本格的なプラネタリウムを見ることができる。
約45分の間、生の解説付きでプラネタリウムを楽しんだ。
・・といっても私は寝てしまったが。
プラネタリウムって程よくリクライニングする椅子とあの暗さでついつい眠りに引き込まれてしまう。あ~心地よい眠りだった・・
息子は意外と楽しんでたようでよかった。
ちょうど2009年の今年はイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡を夜空に向け、宇宙への扉を開いた1609年から400年の節目の年ということで「世界天文年」と定められたそうで、今年は天文にちなんだ様々なイベントが各地で催されるよう。
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年明け初の陶芸にて、ほんとは別の物を作る予定にしてたが、先日見た浜田庄司の土瓶の形がとても美しかったのでそれを忘れないうちに?同じような形の土瓶を作ることに。
ああ・・でもなかなか思ったとおりの形にはいかない!
今日は結構粘土がやわらかめで、積んでいくと粘土の重みで垂れてきそうになった・・
底を支えてるのは足ではなく仮のつっかえ棒。
途中でぐちゃっとやって最初からやり直したくなったが・・二時間というタイムリミットがあるためなんとか修正しつつ続けた。
しかも最後には何を血迷ったか、白化粧で丸い模様を描いてしまった・・
これもなんかいまいちのような・・
でもまあ最初から浜田庄司と同じような美しい形が作れるわけがないよなあ
作れたら人間国宝だよなあ
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ちなみに見本とした形はこれ。
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吹田の浜屋敷で、新春の百人一首の会があるというので訪れた。
子供たちが札を覚えるのは停滞してるが、またこれを機会に復活?できればとやってきた。
阪大の競技かるた会のお兄さん、お姉さんに担当していただき、百人一首についての説明、そして競技かるたのデモンストレーションも見せていただいた。
競技かるたでは一対一の対戦で札は25まいずつ三段に分けて並べる。
15分の暗記時間の後に試合が始まる。
そして札は押さえるのでなく払い飛ばしていいのだ。
私も小学生の時にやってたが、これはなかなか気持ちがいい。
相手の札を取ったら一枚送る、お手付きしたら一枚もらう、で自分の陣の札が先になくなった方が勝ち。
かるたといえども競技かるたになるとほぼスポーツの域に達していて、暗記力と反射神経、集中力も要するなかなかスリリングな競技なのだ。
といってもいきなり初心者がこれをできるわけはなく、
この後は子供たちは初心者、経験者に分かれて試合。
子どもについてきてた大人もちょうど10人だったので5対5の源平戦を楽しむことに。
大人のご5対5、これは遊び?それとも本気?と様子を伺ってると、向かいのママさんがどうやら本気でやり始めたので、我がチームもこれは負けるわけにはいかない!っと本気モードにスイッチが入り、つい夢中になって取りまくってしまった。
隣で旦那が一枚も取れずにチームの足を引っ張ったが、なんとか私が旦那の陣地もカバーし最後には見事勝利をおさめることができた。
うーん、小学校以来のやや本気モードの百人一首、面白かった~
子供たちはというと、初心者のチームで、息子は6枚、娘は1枚しか取れなかった~
と残念がってたが・・
まさか自分がこんなに白熱するとは;
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最後に頂いたお茶とお菓子が美味しかった。
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東洋陶磁美術館にて濱田庄司展が始まったので、同じくやきものに興味を持つ大学時代の友人Oちゃん(いちおう幽霊マイミク?でもある)と一緒に訪れた。
民藝運動の一員としてもおなじみの濱田庄司のどっしりとした大らかな作品の雰囲気が好きで、Oちゃんと作品を見ながらあれやこれやと話しつつ楽しく鑑賞できた。
ここは撮影OKなので多彩な作品の数々から少しピックアップ。
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柿釉文打鉄絵 角皿
濱田庄司が好んで作っていたといわれる角皿は食器として使いやすく、濱田家では揚げ物用に使っていたのだとか。
中央部分には濱田のトレードマークともいわれる糖黍文が描かれている。
幅が31cmもあるほんとに大きな角皿で家族が多かったのか?お客さんがよっぽど多かったのかなあ?と思わず想像・・
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白釉黒流描 大鉢
濱田が得意とした技法のひとつ、ひしゃくで黒釉を大胆に掛けたもの。
流描を15秒程軽々とこなされているのを見て驚いた人が、早すぎて物足りなくないか?と問うと15秒プラス60年の経験とみたらどうかと答えたという逸話が残っているという。
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掛分指描 壷
指で文様を描いた「掛分指描」も濱田の代表的な技法の一つ。
今回、指で描かれた文様は鉢にも抹茶茶碗にもいろいろな器に使われていた。
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鉄砂 茶碗
ほのかなピンク色がかわいらしい茶碗だった。
個展で小鉢を出品した時に、夏茶碗にちょうどいいと買って行かれた方がいたのがきっかけで抹茶碗を作り始めたそう。
抹茶碗は見る人の眼が特別によく利いて思いがけなく張り合いがあったのだとか。
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バーナードリーチと共に英国で3年の作陶生活の中で西洋の伝統的なやきものにも魅せられ、帰国後も西洋風のピッチャーを好んで作っていたという。
フォルムが素敵・・
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塩釉彫絵 花生
シンプルな彫絵模様が形と共にとても愛らしい雰囲気があって好き。
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柿釉 紅茶器
3年間英国で暮らし、本場英国式のアフタヌーンティーに親しんだ濱田にとって、紅茶は日常生活の一部だったそう。
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掛分指描 土瓶
濱田庄司の土瓶やポットの形はほんとにいい形だなあ~とうっとりしてしまう・・
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小皿にちょこっと付いたかざりがアクセントにもなって、実用的でもあるなあ。
約200点の作品、とても見ごたえがあり、これから自分が作るものの参考にもしてみたいなあ~ととても楽しめた。
友人Oちゃんと東洋陶磁の浜田庄司展へ行きgrafでランチした後、今年解体されてしまうダイビルを見納めにやってきた。
ダイビルのファサードを飾るテラコッタ装飾たち。
美しいエントランスホールの空間。
エントランスホールの天井に並ぶ照明の装飾はほんとに圧巻。
しばしうっとり眺め入る。
ひとつひとつ手が込んでるよな~
こんな素敵な空間がもう味わえなくなるとは~ほんとに残念・・
真鍮の私設郵便函は二階、三階の差入口からつながっていて一階に集約されてる。
味わい深い色合いの床のタイル
一階にある当時では珍しかったといわれるパッサージュ(商店街)
パッサージュの中にある喫茶店「大大阪」へお茶をしに。
当時の大阪の風景や建物の写真が掛けられた店内はシックで落ち着いた雰囲気。
チョコレート付の大大阪珈琲。
こちらはただ今建設中の中之島ダイビル。
ダイビルのテラコッタ装飾の意匠が取り入れられていた。
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忘年会で盛り上がった卓球のお仲間で新年会も開催。
韓国通のIさん提案でサムギョッサル(豚バラの焼肉)をしようということに。
またまたIさん宅を提供して頂き、最初ベランダでする予定だったのだが・・
この日は異常に寒く・・又私たちのバカ笑いが近所にこだますると迷惑になりかねない、ってことで急遽室内でやることに。
サムギョッサル、私も初めてで楽しみ~♪
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塩をふりつつ、かなりこんがりするまで焼いたちょっと厚めの豚バラ肉をサニーレタスやサンチュに載せ、その上にキムチを載せて巻いて食べる。
これは美味しい!!
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そしてこれはキャプテンMさん作の「ご飯サラダ」これはご飯じゃなくジャンルはサラダなのだそうで・・玄米ご飯にさっぱりしたお酢を効かせ、豆類や漬物のすぐきなどが入っている。
これもサニーレタスなどに巻いて食べるといいみたい。
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そして手作りのいちご大福~
いちごの酸味と餡の甘味の取り合わせが至福~
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ココナッツババロアも
ゴマ豆腐のような食感がたまらん~
今日も食べた、しゃべった、そして笑った~
幸せなひと時だった。
ポートアイランドのIKEAの帰り、帰り道ルート上にある近代建築を3軒回ってもらった。
芦屋市立図書館打出分室は、芦屋市では2か所目、昨年12月に国登録有形文化財に登録されたばかりだそう。
明治中期から後期にかけて建設され、元は大阪の逸身銀行所有の建物だったものを昭和5年松山氏が購入し、現在の場所に移築し、美術品の保管庫として使用されていたといわれている。
外観はイタリア・ルネサンスのパラッツオ風のルスティカ仕上げの花崗岩を積み、縦長で一対になったアーチ窓を持っている。
松山家が美術品の収蔵庫として使用していたころ松涛館と呼ばれ、現在閉じられたままという扉には「松涛」いう文字がデザインされている。
この日は閉館日で入れなかったのだが聞くと、内側にもロマネスク調の木製飾柱等もあるそう。
図書館へは作家・村上春樹が通っていたことでも有名だそうで彼の小説に登場する打出公園もこの建物の裏にある。
昭和3年ルネサンス様式で建てられた多聞ビル
元西宮銀行、八馬汽船本社として使用されていた。
明治15年に今津小学校の校舎として建築された「六角堂」と呼ばれる西洋風の木造校舎。
案内板によると、敷地内をあちらこちらと動かされながらも115年を越える長い間、今津大空襲、阪神淡路大震災にも崩壊を免れてきた。その間も古くなったから、時代にそぐわないからなど取り壊しの危機があったが地域の人々の存続運動もあり現在に至り、平成10年にやっとこの永住の地に改築されたそう。
一階は展示室として公開されているそうだがこの日は閉ざされてた。
旦那、子どものブーイングを受けながらも、お出かけついでに近代建築を一軒でも二軒でも見れるのは有難い~